2012年2月21日 火曜日

スワミ・プレマナンダ師:

法を支えた偉大なる人物

マタレにおいてラヴィ・スワミとしてよく知られ、ティルチー市ファティマナガール(後にプレマナンダナガールと名づけられた)の400エーカーの土地に位置するスリ・プレマナンダ・アシュラムおよびチェンナイ市カッダロール・アシュラムの創立者、スワミ・プレマナンダ師は、59歳の誕生日後間もない、2011年2月21日、マハ・サマーディに入った。彼は、2011年2月21日、特別な造りのティルチー・アシュラムにおいて、聖別されたサマーディ廟に埋葬された。


スワミ・プレマナンダ師

彼の身体は、台座に神聖なヤントラプレートが敷かれたサンダルウッドの椅子の上に安置され、花輪で飾られた。サマーディ廟(聖廟)は、およそ縦横深さ8フィートである。その穴の中央に特別なヤントラのプレートが敷かれセメントで固められた。その後、サンダルウッドの椅子に座らされた身体は、その穴に優しく下ろされ、スワミジの一揃いの新しい衣服がその身体の上に掛けられた。それから、その身体は、ヴィブーティ、ヴェラム、樟脳、ナヴァタニアム、ヴィヴァとトゥラシの葉、カルダモンで作られた花輪等といった、吉祥であると見なされているさまざまな品々で徐々に覆われていった。最後に、縁まで砂が入れられ、リンガムが据えられた。この穴は、スワミ・プレマナンダ師が生前に着手したシヴァ寺院の中に掘られ、そして、寺院ムーラスタンは、サマーディ廟の上にリンガムが据えられている場所になるだろう。

その後、40日間、特別なプージャが日に三度行なわれた。

外国人帰依者たち

スワミ・プレマナンダ師のマハ・サマーディ式のために、ベルギー、スイス、フランス、イタリア、スリランカ等からの多数の外国人帰依者たちを含め、大勢の人々が集まった。サマーディ式は、師が拘留されていた刑務所をよく訪れていた一医師に生前、師が与えていた助言に従って、行なわれた。

* 偉大なる聖者スリ・ラーマクリシュナ・パラマハンサは、「聖者たちおよび賢者たちは、苦しみと苦難を耐え忍ばなければならない。彼らは、人類の幸福のために自らを犠牲にする」とおっしゃった。

* 弟子デーヴァダッタは、ゴータマ・ブッダと大変近しい間柄にあったが、何とかしてブッダを誹謗しようとした。

* 主クリシュナは、刑務所の中で生まれた。

* 主ラーマは、森に送られ、そこに14年間居た。

* キリストは、自らの弟子の一人、ユダという名の弟子によって裏切られた。その国の支配者たちは、キリストを十字架にかける判決を下した。

* サッチャ・サイババの生徒たちは、彼を殺そうとした。

同様に、スワミ・プレマナンダ師は、彼の孤児院の子供たちと親しい信奉者たちによる申し立てのせいで、刑務所に行かなければならなかった。

スワミ・プレマナンダのお人柄は、独立性があり、鋭かったが、しかし、そこに皮肉はなかった。彼は、決して意気消沈したり無力感を覚えたりしなかった。彼は、人々の欠点を許すというすばらしい力を持っていた。誰かが彼に語気を荒げても、彼は、やり返さなかった。

彼は、自分に対し他の人々によってなされたたった一つの親切な行為に対してさえも、感謝の気持ちを表わした。もし不親切な行為が何百となされても、彼は決して覚えていなかった。彼には、うわさ話やスキャンダルや無駄話に付き合っている暇はなかった。スワミ・プレマナンダ師は、ただダルマのみを守った偉大な人物だった。

スワミ・プレマナンダをヴィシュヌの化身として見ようが、あるいはあらゆる人間の徳を持つ完璧な模範である人間として見ようが、スワミ・プレマナンダの人知の及ばないすばらしさは賞賛しつくせない。スワミ・プレマナンダをアヴァターラと見る人々は、神人の、人間としての特別な目的の為の顕現に至るまでの、彼の完成の足跡を探求する。一方、スワミ・プレマナンダを完璧な人間と見なす人々は、彼の人格を正当に評価する者としての私の目には、彼の人格のその完璧さにあるものは、単なる神秘家ではなく、激しい自己鍛錬の成果と思われる。しかしながら、二つの見解の違いは、しばしば考えられるよりも、もっと小さなものと思われると言うのが、おそらく正しい。そのような完成における人間の諸特質は、実に、神の恩寵の賜物に他ならない。

持って生まれた力

スワミ・プレマナンダが、マタレにおいてラヴィ・スワミとして知られていたと上述した。ラヴィがナヴァラトリ後のヴィジャヤダサミの日に、マタレのクームビアンゴダ・ホールでの集まりで話をしていたとき、奇妙なことが起こった。電気も水道もなかったにもかかわらず、ホールは、帰依者たちで一杯だった。ラヴィの両親も、そこに居合わせた。とつぜん、人々は、彼の全身の周りに光を見た。出席者全員が驚きの目を見張る中、ショールとドーティから成る黄褐色のローブが、彼の上に現れた。彼は、見えざる手によって霊的なイニシエーションを授けられていたのだ。その奇跡は、新聞報道されたが、しかし、ラヴィの両親は、この出来事を紙面に掲載することに異議を唱えた。彼の両親に関する限り、彼らは、この変化を好まなかった。なぜなら、スワミつまり乞食の息子を持つことは、家名を汚すと考えられていたからである。しかし、スワミジは、この体験を喜び、常にローブを着、僧侶の規定に従って生き、人類に役立ち、帰依者たちの模範になることを、自らに誓った。私の見解に従えば、2011年まで、二人の生けるアヴァターが存在していた。それは、サッチャ・サイババとスワミ・プレマナンダジである。お二方とも、昨年マハ・サマーディに入られた。

マハシヴァラトリは、ヒンドゥー教徒にとって神聖な日である。この日、主シヴァは、リンガムという形で自らを顕す。この顕現は、マハシヴァラトリの日の真夜中過ぎに起こる。この特別な夜に、吉祥な現象が起こる。スワミ・プレマナンダは、4つから5つのリンガムを顕し、喉と口を通ってそれらを持ち来たらす。それは、彼に起こる自発的な神聖な出来事である。

彼は、2010年まで過去42年間毎年ずっと、マハシヴァラトリの日にこの行為を行なってきた。彼は、刑務所の中に居たが、この神聖な出来事は、マハシヴァラトリの期間中、毎年続いていた。(リンガムを取り出す)リンゴドバーヴァだけでなく、ヴィブーティ(聖灰)も、彼の口から出てくる。1989年、私たちは公けに、リンゴドバーヴァ中に、聖灰が彼の全身から降り注ぐのを見た。スワミ・プレマナンダは、それは、私たちの為に、彼の身体を通して有形の形で顕れている神の恩寵であると言った。悟りを得た魂からヴィブーティを受け取るということは、希少な機会である。そのようなヴィブーティは、病を癒し、問題を解決し、肉体的および精神的な苦痛を取り除き、過去の行いの影響を無効にする力を持っている。

霊性のメッセージ

スリランカでの彼のミッションの初期に、彼は、孤児院の子供たちに対しては遊び友達の役割を、マタレのプーバラ・クリシュナ・アシュラム(レスト・ハウス敷地の隣接地、ガンディー記念ホール)を訪れる年長者たちに対しては友であり連れである役割を担った。

彼は、短い旅行をし、小さな集まりのために、サットサングのプログラムを公けの場所や帰依者たちの家で行なっていたものだった。彼の晴れやかな笑顔と輝く瞳は、霊的な光を放ち、彼は、魅力的な人柄だった。サフラン色あるいは赤色の服を纏った5フィートの姿は、非常に印象的であった。

彼は頭を光輪のように取り巻く黒い縮れ髪をしていた。この人の姿をした磁力は、あらゆる人種宗教の男性、女性、子供を彼のもとに引き寄せた。彼は、超自然的な力を持つ途方もない人である。私は、彼の神聖かつ奇跡的な力を体験し、目撃した。この時までに、彼は、ジャフナとプリヤンクラムにアシュラムを持っていた。

1983年7月スリランカで起こった暴動とともに、暴徒の被害者たちが、大移動した。マタレのプーバラ・クリシュナ・アシュラムは、焼かれ破壊された。

スワミ・プレマナンダジは、大勢のマタレ・アシュラムのメンバーと孤児院の子供たちに、タミル・ナドゥのファティマナガール・アシュラムで生活するための場所を提供し、外国での彼らの生活が新しい環境に適応できるよう、彼らを助け、そしてまた、世界に広く彼の霊性のメッセージを広めた。

同様のプレマナンダ・グループが後に、アメリカ、日本、シンガポール、ドイツ、ロンドン、フランス、ベルギー、スペイン、イタリアにおいて出現した。

下記に、彼のサットサング・プログラムからいくつか、重要な抜粋を提供する;

* マタレのアシュラムで、彼は、サットサング・プログラム中に、彼の前世において、彼には18人の弟子たちがいたが、彼ら全員が、世界のさまざまな地に再び生まれていると述べた。彼がまさにマハ・サマーディに入らんとするとき、彼は、その世界のさまざまな地から彼らを召集するだろう。吉祥な日、前述の弟子たちと帰依者たちの居る前で、彼は消えるだろう。彼のサマーディの後、現在のマタレのホールの前に泉があるだろうと言った。この泉の水は、フランスのルルドの奇跡の水のように、人々を癒すことができるだろう。

* 一人の帰依者が訊ねた。私たちは破滅の時代に近づいているのですか?
スワミジは、それは戦争によって、あるいは爆弾のせいで起こるのではないと答えた。それは、自然災害を通して起こるだろう。たとえ、世界が明日滅ぶとしても、私たちは、それについて何もできない。それは、私たちの問題ではない。私たちが生きている限り、私たちは、利己的な動機を持たず、社会と自身にとって有益かつ良いことを行おう。神は真理であり、真理は神である。

* あなたは常に他者の欠点を見つけようとする。あなたは、常に他者に、自分は彼らがこれやあれをしているのが気に入らないと言う。私たちが正しい道にあるときに、それについて他者に言おう。私たちはすべて、共に正しい道を進もう。そのようなやり方で、私たち自身のマインドに助言し、私たち自身の誤りを正そう。したがって、あなた自身のマインドを浄化しようと努めなさい。

(スワミ・プレマナンダ)

* 神を見出し知ろうと努めるために、金を払ってはいけない。

神を見るために、プレマナンダに金をやってはいけない。

金を通しては、霊的に何も達成され得ない。

神あるいはニルヴァーナに近づくために金は必要ない。

(スワミ・プレマナンダ)

* すべての宗教の僧の中には、本物も居ればそうでない者たちも居る。スリランカでは、仏教徒たちはたいそう帰依心を持っており、僧の前に平伏し、すべての仏教僧に対ししかるべき敬意を示し、彼らを受け入れる。

しかし、あなたたち(ヒンドゥー教徒たち)は、この同じ敬意をすべてのスワミたちに払わない。あなたたちの中には、私のことを疑う者たちさえいる。もしあなたたちが、真に彼らを好まないなら、彼らをこき下ろすよりもむしろ、離れている方が良いのだ。彼らに親切で愛情深くありなさい。彼らを疑ってはいけない。もし彼らが間違っているなら、そのとき、それは彼らの罪であり、それは、彼らのもとを離れないだろう。

(スワミ・プレマナンダ師)

私はこの記事を以下のように締めくくりたい。
ボーディサットヴァ - 菩薩 - たちは、常に、この世のすべての霊的熱誠者たちの救済を心に誓った。彼は、ニルヴァーナを達成せず、私たちの霊的発達を促進し続けるだろう。だから、私たちが従っている宗教が何であろうと、つまらない論争を捨て、私たち自身を宇宙の意志つまりダルマに完全に明け渡し、ダルマに随い生きようではないか。


http://archives.dailynews.lk/2012/02/21/fea03.asp