プレマラヤム 第12回 ―聖母ディヴィアについて―


私は、女性にこのアシュラムの長になって欲しかった。女性が国を治めることができるなら、なぜ女性たちが宗教的な事柄において人を導くことができないのか? 男性は、女性が霊性の生活を始めるのを止めようとすべきではない。キリスト教および仏教には数多くの尼僧がいるが、ヒンドゥー教にはいない。私は、女性たちにヒンドゥー教の中で尼僧つまりマタジになる機会を与えたいのだ。なぜ、ヒンドゥー教には数多くの女性出家者がいないのか? あなたたちは、女性はこの世界の基盤であることを認めなくてはならない。すべての人間が女性から生まれている。彼女たちは子供たちを育て上げ、人々のあらゆる人生が社会における女性たちの役割を軸として展開する。一つ言っておこう、女性たちは世界を守ることができるし、破壊することもできる。彼女たちがそのような驚くべきことを行なうことができるなら、彼女たちは宗教を作り導くこともできるのでは? このことを行うために、彼女たちには何が必要か? 男性たちの励ましと支援だ。

私は数多くの男性の弟子たちを持ったが、このアシュラムを女性聖者たちによって運営して欲しかった。私は忍耐強く待ち、それから、このアシュラムを運営するためにマザー・ディヴィアを選んだ。私は、マザーの神性が花開き育つのを過去24年間に亘ってずっと見守ってきた。彼女は次の70年間に亘って数え切れない魂たちに慰めと平安をもたらすだろうと分かりながら、終にあなたたちに彼女の偉大さを明かすことができて、私は感無量だ。私は、若かった頃でさえ、私のミッションにおいて主要な役割を果たすであろう、神聖な女性が私の母国スリランカに誕生したことを知っていた。私が、甘く純粋なバラの蕾にも似た顔をしたとても小さな少女であるマザーを最初に見たとき(1968年)、私は、彼女の真の性質を知っていたが、そのことを誰にも話さなかった。彼女は両親と三人の姉と共に訪れてくると、しばしばスリランカの諸アシュラムで私の近くに居たものだった。私が帰依者たちにインタヴューを与えていたとき、彼女は私のそばに来て座り、いつもこう尋ねたものだ。『お手伝いしましょうか? あなたは、非常に大勢の貧しい人々や病気の人々の面倒を見ていらっしゃいます。私は何をしましょうか?』と。私はいつも彼女にこう言ったものだった。『後に・・・後にあなたは、私を助けることができる。今は行って勉強し、家であなたの母親を助けなさい』と。私は、そのときでさえ、彼女の内に潜在している力を理解していた。彼女の静かな物腰、洞察力ある知性、落ち着き、従順さ、優しさ、勤勉さは、この非常に幼い人の内に顕著だった。私が霊的な事柄について論ずるときはいつでも、彼女は瞬く間に私の考えを理解し、それを実践したものだ。私は、マザー・ディヴィアをサンニャシニへとイニシエートする前に彼女の信と帰依心のレベルを調べるために数多くの霊性のテストを与えた。

私は、霊性の道は世間の道とは相容れないということ、彼女は自らの悟りへの旅路において物質的なエゴの生活をすべて跡形なく投げ捨てることになるのだということを、彼女に率直に語った。私はまた、特に彼女は非常に若く、また彼女が女性であるが故に、世間の人々の中には彼女を必ず批判し疑う人々もいるだろうということも警告した。私は、偏狭な未熟な人々は彼女について疑いを言葉にし、彼女は気違いだとかそのようなことさえ言うだろうと彼女に助言した。マザーは、静かにいかにも彼女らしくこう返事をした。『全世界が私を批判するかもしれません、スワミジ、しかしあなたは――私のグルジよ――あなたは、私のハートが真実であることをご存知です。私にとってはそれで十分です』と。彼女は、どのような試練が自分にやって来ようと、究極の霊的な知識および至高者の実現を自分に授けてくれるよう、繰り返し私に頼んだ。彼女は、実に非常に近しい弟子であり、私の魂、私のアートマに近い。

彼女の子供のような見かけにだまされてはいけない! 彼女の肉体の姿は、彼女の無邪気さと純粋さを反映しているのだ。彼女の内には、太古からの知識という宝がある。彼女の祝福と助言を得る機会を逃してはいけない――二、三年の内に、マザー・ディヴィアの近くに行くことはあまり容易くはなくなるだろう。もし彼女の霊的な力量が二十七歳という若さでそれほど偉大なら、彼女が以後の人生でどれほどになるか想像してみなさい。私は、彼女が前世でどれほど偉大であったかを知っているように、彼女の未来を知っている。その同じ神聖な贈り物が、人類を向上させるために再び彼女の中に顕れている。しかし彼女は、彼女の真我を謙虚さと飾り気のなさで隠している。彼女は子供のようであり、笑いと楽しいことを好む。何にもまして、彼女は自然で、純粋で、完全に自らを神に明け渡している。彼女が何を言おうと、本当になるだろう。私が彼女の世話のもとに預けた三つのリンガムを用いる彼女の祝福は、あなたたちの病気を治し、あなたたちの問題を解決し、あなたたちを霊的に向上させるだろう。彼女の祝福は、確かにあなたたちを発達させる。

- 1992年 -

注: 『誰一人、聖母を理解しなかった』と、2008年マハシヴァラトリの時にスワミジは明かされた。
そして、聖母という宝玉は、1994年にインド現地を去られたまま、今後とも、心寄せる人々とともに在り続けるのである。


聖母ディヴィアの意味を理解するための断片
サナタナ・ダルマ
サナタナ・ダルマとは、宇宙の母だ。サナタナ・ダルマとは真理であり、永遠なる絶対者の聖伝系譜だ。・・・サナタナ・ダルマは英知であり、悟った賢者たちによって口伝された非常に古い古えからの神聖な教えはすべて、そこに起源を持っている。聖母サナタナ・ダルマは、ヴェーダの母だ。・・・サナタナ・ダルマは、シャクティなのだ。 ― 2000年9月6日 ―
聖者アディ・シャンカラは、聖母を礼拝(らいはい)した。・・・シャンカラは旅を続け、聖母について人々に教え続けた。 ― 2010年5月 ―


サナタナ・ダルマを明かす大聖
宇宙の母の純粋なる愛と慈悲のほんの一欠片、微小な一部がこの聖者(スワミジ)として顕現し、あなたたちの前に立っている。 ― 1996年4月18日 ―


聖母御自身が1985年私をこの場所(現在ティルチー・アシュラムが建っている)に導かれた。・・・アシュラムおよびその建物がインドの偉大なる聖者たちによって開所されるというのが、私のはっきりとした希望だった。聖母は私の祈りを叶えられた。1989年11月18日のアシュラム落成式中、非常に数多くのインドの聖者たちが、この場所を祝福するためにここにやって来た。したがって、ここは実に聖なる地なのだ。 ― 1993年4月14日 ―

(アシュラム落成式に)スワミジ・チンマヤナンダ、ライフ・ソサエティーのスワミ・チッタナンダ、宗教的な指導者たちが次々と、人生において何がなされるべきかを述べたが、彼らは決して、このことは強制的なものではないとも言った。というのも、私は、ここをただスリ・プレマナンダ・アシュラムと世間の人々が呼ぶだけの、凡庸な場所にしたくなかったのだ。そこは、〈肉体を持つ持たないに関わらず〉非常に偉大なる魂たちが共に集う場所〈至聖所〉であり、ヒンドゥーのすべての哲学と宗派が調和して協力することのできる、出会いの場所なのだ。 ― 1994年以前 ―


私はすべての建物を建て、人々のためにこのアシュラムを整えた。私は自分の義務を果たしてきた。それだけだ。これは、この国(インド)に対する私の無私の奉仕であり、私はそれを行ったので幸せだ。すべては、聖母の御業だ。 ― 1997年7月24日 ―

聖母ディヴィアの家族とその家系は、タミル・ナドゥのティルネルヴェリ出身である。私は、アシュラムの全責任を彼女に手渡した。かくして私は、この神聖なバラタの地出身のサンニャシ尼にすべてを手渡した。これ以上大きな奉仕を、私はバラタに対してすることはできない。 ― 1994年1月10日 ―
聖母ディヴィアの内には、太古からの知識(ニャーナ)という宝がある。 ― 1992年 ―