プレマサーダナ2008年4月号



スワミジのサットサング
     ――アシュラムへの一時帰還のときの法話から――

マインドを常に純粋に保つことは、人生において非常に重要だ。人生の中で、あなたたちは数多くの困難や問題や苦しみや悲しみに遭遇するかもしれない。あなたたちは、それらが起こらないだろうと言うことはできない。子供たちや孫たち、親戚や隣人のせいで問題が起こる。あなたたちのコントロールを超えた問題もあるが、しかし、あなたたちもまた、自分たち自身で問題を作り出しているのだということを理解すべきなのだ。それでも、何が起ころうとも、あなたたちは心の平安を維持すべきなのだ。

たとえば、あなたが食べるよう頼んでも食べない人々もいる。その後に、彼らは病気になったとき、治療のために何万ルピーも費やす。身体の面倒を見、きちんと食べる方が良いではないか?
あなたたちは85歳まで生きるかもしれない。しかし、それさえあなたたちにとっては大変なように思われる。50代前半でさえ、あなたたちは身体中あちこちが痛いと言って愚痴をこぼす。座ったらもう一度立ち上がるのが大変だし、横になっても眠れないと不平を言う。これはすべて、緊張と心配のせいだ。あなたたちはいつも「あれやこれやについて心配だ」と言っている。すべてを聖なる母アキラ・ローカ・ナヤキの御手に任せなさい。彼女は、宇宙のフォースの導き手だ。すべてのことを神に手渡しなさい。あなたたちが世界のどこにいようとも、一切何も自分たちの所有ではないのだということをあなたたちは理解すべきだ。すべてを神の御手に明け渡し、幸福に喜びに満ちて不平を言わずに生きなさい。

あなたたちはどのようにして病気になるのか? 全く病気ではないときでさえ、あなたたちは自分は病気だと想像する。神があなたたちをその年齢で健康に保って下さっていても、あなたたちは神に感謝しない。それどころか、あなたたちはこう考える、「ああ、神様!あなたは人生のこの時期にさえ私のことを病気にしました」。それは本当に病気なのか?
スワミは病院へ行き、多くのことを見てきた。ある男性は両手がなく、別の人は両脚がなかった。数多くの人々がそこでそのような状態で横になっているが、それでも、あなたたちは、自分の小指に小さな擦り傷をつけても不平を言う。
ある男性は、自分は井戸に落ちたのだとスワミに話した。彼は実際に死ぬところだったが、しかし、彼が今でも生きているという事実は、聖なる母の恩寵のお陰なのだ。すべてのことは神の恩寵だ。実際、すべてのことが非常に幸運なのだ。そのようなわけで、これは間違っている、あれは間違っている、ということは言わない方が良いのだ。すべてのことは神の恩寵だ。至高者の奇跡は数多くある。これは奇跡で、あれはそうではないと言わないようにしよう。皆が元気なら、それで十分だ。あなたたちは、子供たち、孫たち、あなた自身が元気であり、自分の親戚が健在にしていることを知る必要があるだけだ。

あなたはスワミに、どのようにすれば自分たちは霊性の人生に並行して家族生活を送ることができるのかと質問している。
―――
伝統、文化、習慣はそれぞれの国において異なる。だから、神を目指す生活はあなたたちがどこに居るかという問題ではないのだ。あなたたちはどの国に居ることもできるが、実際の処、障害はあなたたちのマインドの中に存在するのである。あなたたちは、神についての考えを意識の中に完璧に持ち続けるべきだ。あなたたちを創造した神についての考えが、絶えずマインドの中にあるべきなのだ。

スワミは人間として地上に誕生した。(アヴァター存命中の)そのような地上に誕生することは、あなたたちにとっても大きな機会であり、あなたたちは自分たちの肉体上の母親から生まれたのであるけれども、このすばらしい機会に対し、あなたたちは母なる地球に感謝する必要がある。母なる地球は、スワミに誕生を与えた方だ。シヴァが父だ。あなたたちの命は太陽の光と地の偉大さのおかげなのだ。そのようなわけで、あなたたちはすべての存在の偉大なる父と母に祈るのである。
あなたたちは太陽光なしに生きることはできない。あなたたちの体内にあるその臨在の振動が体温である。もし心臓が働くのを止めたら、人々はその上に手を置く、もし心臓がそのとき冷たいなら、生命は終わっている。あなたたちは太陽から肉体内の熱を得ているのだ。あなたたちの肉体は、地と水を含む5つの元素からできている。もし肉体に水が全く存在しないなら、それは生命のないものになるだろう。次に、肉体は地元素から成っている。母なる地球はあなたたちを5つの元素から創造し、シヴァの熱を、太陽主を、魂としてお与えになった―――あなたたちはこれを生命として知っているのである。このため、スワミは、一人一人すべての人間はシヴァと聖なる母(シャクティ)に帰属していると常に主張しているのだ。一人一人すべての人間が、実際シヴァでありシャクティなのだ。あなたたちがすべての人に内在する原子を観察するなら、それらはシヴァリンガムの形に見える。スワミは、このことを科学的見地から言っている。
シヴァは太陽の力である。彼は太陽のエネルギーを送り、あなたたちの肉体の内に生命を創造した。子供は母親似で生まれるが、父親似に成長すると言う。太陽は父であり、地球は母だ。あなたたちは地球で成長し生きている。したがって、あなたたちは神の恩寵とともに生きており、神はあなたたちを導き、あなたたちに正しい考えを附与できるのである。

あなたたちは、どのような生き方でも生きることができる。勉強しないにも拘らず、自分たちはいつも勉強しているのだと、あなたたちはただ言っているだけだろう。このことによって誰が影響を受けるだろうか? たとえば、スワミが影響を受けるだろうか? 自分は勉強しているが、ときに友人たちと出歩き、携帯電話で話したりもしているのだと(巧妙に)偽ることは、スワミに影響を及ぼすだろうか?
子供たちは自分たちの勉強に集中する必要がある―――それが彼らにとって良いことなのだ。彼らにとってであって、スワミにとってではない。学生たちは学びたい気持ちを持つ必要があり、そのときのみ、彼らは学ぶことができる。そうでなければ、彼らは学ばないだろう。彼らのマインドは他の物事にあるだろうし、それは時間の無駄だ。

あなたたちの生活様式について考えてみよう。あなたたちは偉大な機会を与えられている――あなたたちは神の恩寵と神聖な考えをもって生きる機会を得ている――あなたたちはその機会を用いているか?
ラーマは14年間森の中で暮らした。なぜ彼はそこにいたのか? 彼は誰かを殺してそこへ行かなければならなかったのか? 当時、刑務所は存在せず、代わりに人々は森へ送られていた。彼らはヴァナヴァサム(森に住む者)と呼ばれていた。なぜ彼らはラーマを送ったのか、彼は何か誤りを犯したか? 悪いことを行った人々だけが罰されたのではない。
イエスを十字架にかける前、彼らは彼を刑務所に入れた。なぜか? それから、彼らは彼を刑務所から連れ出し殺した。彼が何か悪いことを行ったのか? 彼はただこう言っただけだった、「私はメッセンジャーであり、神の代理人です。私は真理を語るためにここにやって来ました。私があなたたちに与えているメッセージは私の父によって、私に与えられたものです。」彼が父と言うのは誰のことを意味しているかわかるか? 彼は、至高者を自分の父と呼んでいたのだ。そして、そのために、彼はどのような罰を受けたか? ――彼は十字架にかけられたのだ。
仏陀はあなたたちが仏教と呼ぶ教えを授けた。彼は(余念なく今此処に常在する)ヴィダルシャナ・バーヴァナとして知られている瞑想を非常に美しく説いた聖者だった。彼が瞑想を教えた間に、どのような試練に耐えなければならなかったか? もしあなたたちが霊性において高いレベルを達成していたら、そのとき、あなたたちは地位、宗教、人種やその他の違いを区別しないだろう。あなたたちは無差別のレベル――悟りの境地にあるだろう。
仏陀は王家の出だった。彼は諸王の子供たちを弟子として取った。彼は高いカースト(ブラーミン)の諸王の子供たちを入門させた。当時、諸王たちはこのことに同意した。時が経つにつれ、彼はまたより低いカーストの諸王の子供たちにもイニシエーションを与えたが、しかし、他の諸王はこれを受け入れたか? いいや――彼らは、より低い階級出身の子供たちが僧侶の衣を身に付け自分たちの子供たちと同等に一緒に座ることに同意しなかった。幾人かの王が仏陀を殺すことに決め、彼らは彼の食べ物に毒を入れた。仏陀はそれを食べて死んだ。それに毒が入っていることを彼が知らなかったと思うか?――彼は知っていた。
クリシュナはアヴァターであり、刑務所の中で地上に誕生した。
類似の状況はヒンドゥー教徒の伝統においてだけでなく、キリスト教徒、イスラム教徒、仏教徒においても存在する。

シヴァの南インドの崇拝者たちの古代ヒンドゥーの伝統によれば、ナヤンマーと呼ばれた63人の霊性の人物たちが存在した。彼らのうちの一人はこう歌った。

ソットルナイ ヴェティアン ソティ ヴァーナヴァン
ポットルナイ ティルンドタディ ポルンタク カイトゥ トゥラ
カットルナイ プーティユール カダィリンヌル パイヤチンヌム
ナットルンナイヤーヴァトゥ ナマ シヴァーヤヴェ
『彼の敵たちは彼が死ぬように彼を岩に縛り付け海に投げ込んだ。
しかし、そうであっても、彼はそれで構わないのだ。
なぜなら、何が起ころうと、彼はいつもシヴァの賛歌を歌っていたから』
――という意味だ。

スワミがいるカッダロール刑務所には2700人の囚人がいる。彼らの性質は非常に暴力的で、仮にあなたたちが彼らと目を合わせるようなことがあれば、彼らは即座にあなたたちの頭を切り落とすだろう。彼らは素手で壁を登ってさえいる……今、彼らは沈黙して座り瞑想している。彼らは、自分たちが出ても、もう決して誰も殺したりしないし、一切悪いことはしないと言っている。神は、スワミ・プレマナンダはその人々を変えるために刑務所に行かなければならないと決められた。今、彼らは非常に規律がある。

今日、スワミは本当は刑務所にいなくてはならなかったのだ。というのは、クンバ・アビシェカムが挙行されているからだ。二ヶ月前、スワミはそこにシヴァリンガムを設置した。刑務所には9つの寺院がある――シヴァ、聖なる母、ガネーシャ、ムルガンを含めそれぞれの神に一つずつ寺院がある。現在、朝に、皆がヴィブーティを額に付け、歩いてアウム・ナマ・シヴァヤのマントラを言う者もいる。一方で、ムルガ・ムルガと言う者もいれば、ピライヤー・ピライヤー(ガネーシャの名の一つ)と言う者もいる。彼らは自分たちの犯罪的なやり方を捨て、変わりつつある。彼らは、今まで自分たちを正しい方向に導いてくれる人を誰も見つけることができなかった。そのようなわけで、彼らは悪い仲間に染まり、間違った方向へ行ってしまったのだ。今は、スワミに彼らを助けるための機会がある。

良い文化、謙虚さ、清浄と規律を実践しよう。
“ああ、主よ! 私は、自らの人生においてこのような幸運を得ました! 謙虚さが私のもとにやって来て、私は明け渡しました。エゴが立ち去り、私は平穏になりました。怒りが私の内側に留まらないよう私をお守りください!”
スワミは、あなたたちがこのことすべてを聞きながら、あなたたちすべてが良いマインドの状態を体験し、最高の境地に達するよう祈る。あなたたちすべての前でスワミに話をさせているのは、神の神聖な遊び(リーラ)の一つなのだ!

ジェイ・プレマ・シャンティ!

スワミ・プレマナンダ