プレマサーダナ 2010年10月号

続いてスワミジは、アシュラムに集う僧・尼僧・帰依者を前に、‘弟子’と呼べる者が一人もいないことを明かされます。そして、‘弟子’というものがどういった存在なのかを、禅匠の如く、端的に宣べられます。

参集者の四つのカテゴリー
―― U.――

師と弟子について

スワミ・プレマナンダに会うこと、バジャンを歌うこと、彼に霊的な質問をすること、彼に問題を解決してくれるよう頼むことはすべて、‘師と弟子の関係’とはまったく別ものだ。

今や、グルを受け入れる現代風なやり方が存在する。人々がやって来て私に、「私はあなたをグルとして受け入れます」と言う。この現代世界では、グルを受け入れるやり方も非常に現代風なやり方になっている。そこでその現代風なやり方では、人々は『サイババが私のグルです、アマチが私のグルです、スワミ・プレマナンダが私のグルです、誰それが私のグルです』と言う。これはただのスタイル(見せびらかし)だ。これは師と弟子のやり方ではない。これはただの見せびらかしだ。これは物質世界の見せびらかしだ。人々は私のところに来て「スワミ、あなたは私のグルですか?」と尋ねる。「イエス」、それで終わりだ。私は、あなたたちが傷つくので、ノーと言えない。師と弟子の関係とはどのようなものなのか? それは友人関係なのか? 彼はボーイフレンドあるいはガールフレンドなのか? いいや。もしあなたたちが師と弟子の関係について話すなら、それは太古に源を発するものだ。『自分のための師・グルを持てるとは、私は非常に恵まれている』と、あなたは考えるべきなのだ。『‘彼’のような師を持つとは、私はどれほどの功徳を積まなくてはならなかったか』。だからこれは非常に大いなる贈り物なのだ。しかしあなたたちは、これを友人関係だと見なす。これは全く友人関係などではないのだ。これは全くファッション(他者に示す見せびらかし)などではないのだ。今私は、ファッショングル・プレマナンダの立場にある。どうしたらいいのか。そして今(になって)、彼女は私に、グルとは何ですかと尋ねる。今私がそれについて明かせば、そのとき、あなたたちは皆、緊張するだろう。私はこれをここで止め、次回のサットサングで、グルというテーマについて説明しよう。
あなたたちは、このことを理解すべきだ。あなたたちは、このことの深い意味を理解すべきだ。いくつかの国々においては、グルを誤って捉えている。それがセクト問題(誤導する扇動者の問題)だ。それは師などではない。師とはどのようなものかについて、彼らの考え方は間違っている。

イエス・キリストの12人の弟子たちにとってのイエス・キリストが、師の意味だ。イエス・キリストが12人の弟子たちと持っていたような関係が、師と弟子の関係なのだ。ラーマクリシュナと16人の弟子たちの関係が、もう一つの師と弟子の関係だ。今日、イエスを礼拝している人々は非常に数多く存在する。彼らにとって、イエスは師ではない。彼らすべてにとっては、イエスは皆を祝福する神のような存在なのだ。12人の弟子たちにとっては、イエスはさらにもう一歩進んだそれ以上ものであり、彼らにとって、イエスは師なのだ。イエスはまた神であり、師として教えを与える。同じことが、マハーバーラタでも起こった。アヴァターラとして化身された神自身である主クリシュナが、師として教えを与えている。ラーマ・アヴァターの場合も同様だ。主ラーマというアヴァターとして化身された神自身が、人々に、人はどのように生きるべきかを自らの生き方を通して教えた。だから、主クリシュナを礼拝する者は、主クリシュナの帰依者だ。主イエス・キリストを礼拝する者は、帰依者だ。ラーマクリシュナを礼拝する者は、ラーマクリシュナの帰依者だ。‘師と神’は、別々のカテゴリーにある。‘弟子と帰依者’は、別々のカテゴリーにある。もしあなたたちが、彼を師として受け入れるなら、そのとき、あなたたちは彼に物質的な問題を話すことはできない。今あなたたちが、私を師として受け入れているのは、ファッション(世間に見せびらかす為)であり、だからあなたたちは、私に物質的な問題も話す。そのような訳で、私はあなたたちのやり方に近づき、私はあなたたちに手紙の中に霊的な質問を書き、それからその他の物質的な質問も書くよう言うのだ。なぜ私はあなたたちに霊的な質問を書くよう言っているのか? それは、あなたたちが私をあなたたちの師だと考えているからだ。それはファッショングル(世間に見せびらかす為の師)だ。本当の師としてではない。本当の師とはどのようなものなのか? あなたたちは、私を本当の師として受け入れることができるのか? あなたたちは、そのための用意ができているか? もしあなたたちが私の帰依者だと言うなら、私はそれを受け入れる。そのことには、何の疑いもない。私は、あなたたちがすべて、私の帰依者であるということには何の疑いも持っていない。私はあなたたちすべてを祝福し、私はあなたたちすべてに対し非常に愛を持っている。それは、あなたたちがすべて、帰依者の状態にあるということなのだ。しかし、師・グルとは何を意味するのか。それこそあなたたちが理解していない質問であり、それを次回のサットサングで説明しよう。

今日、帰依は世界中に広まっている。その対象として、彼らはグルを必要としているに過ぎない。しかし、帰依そのものには、師は必要ない。そのためには、帰依心のみで十分なのだ。あなたたちは、サイババに祈ることができる。あなたたちは、アマチに祈ることができる。あなたたちは、すべての人を礼拝することができる。それは、間違っていない。それを、あなたたちは、私はサイババの帰依者だとか、私はアマチの帰依者だとか、私はプレマナンダの帰依者だとか言って分割している。なぜ、あなたたちは、自分自身を分割するのだ? あなたたちは、自由でない。自由で在りなさい。あなたたちは師のことを思い、その状態に至ろうと努めるべきなのだ。(自縛せず、)あなた自身に、自由なやり方をさせなさい。それを私はあなたたちに教えたい。あなたたちは、スワミジの教えに、非常によく耳を傾けなくてはならない。成熟しなさい。アマチの教えを聞き、その中に理解できることがあれば、それを自分自身の中に取り入れ、そして成熟しなさい。ラマナ・マハリシの教えを聞き、その中に何かあなたが理解できることがあれば、あなたは、自らを発達させなくてはならないと考えるだろう。それは、間違っていない。

では、師・グルとは何なのか? 師の意味とは何なのか?…
同様に、あなたたちはラーマクリシュナ・パラマハンサを受けとるべきなのだ。彼には16人の弟子たちがいた。彼らの中で、彼を非常に良く理解していたのは誰か?
 スワミ・ヴィヴェーカーナンダです (帰依者)

では、彼はどのような状態にあってラーマクリシュナをよく現わすようになったと、あなたたちはわかるか? どの点において、あなたたちは、それを理解できるか? あなたたちは、スワミ・ヴィヴェーカーナンダがラーマクリシュナを非常に良く理解していたということを知っているが、しかし、どのような点において、彼はラーマクリシュナをよく現わし、ラーマクリシュナに全託していたかを、さあ、あなたたちは理解することができるか? わかるか? 
いつ、彼ら二人は同じようになったか? どんな点において、あなたたちは、スワミ・ヴィヴェーカーナンダが完全に明け渡していたことがわかるか? 
いつ、彼ら二人は同じようになったのか?
 ラーマクリシュナのサマーディの後です (シヴァティ)

違う! サマーディの前だ!

ヴィヴェーカーナンダは、非常に聡明な人だった。彼は、非常に良い教育を受けた人だった。彼は、裕福な家庭の出であった。彼は、すべての快適にする設備を持って暮らしていた。ラーマクリシュナは癌にかかり、非常に重症だった。喉に癌があり、呼吸がうまくできなかった。そのとき、彼は吐いてしまい、吐いた物が椀の中に散らばった。その後で、彼はヴィヴェーカーナンダにそれを渡し、こう言った。「それを、誰かがその上を踏むような場所に置いてはいけない。分かったね、それを、誰もその上を踏まない場所に置きなさい」と。ヴィヴェーカーナンダがしたことは、それを即座に完全に飲み込んでしまったことだ。そうすれば、誰もその上を踏んだり何かなることはない。そのように、ヴィヴェーカーナンダはラーマクリシュナを非常によく理解していたので、彼は、ラーマクリシュナが彼に行なうよう望んでいたことの4倍も良く行なったのだ。ラーマクリシュナは、誰もその上を踏まないようにと言っただけだった。ヴィヴェーカーナンダは、誰も踏まない場所はそこだけだから、飲み込むべきだと考え、そこで、彼は飲み込んだのだ。
ここに、このニルマラ・マタジから出された質問に対して‐意味するもの‐がある。もしあなたが、このことを理解したら、あなたはその他すべてのことを理解する。

ジェイ・プレマ・シャンティ

スワミ・プレマナンダ

< 2008年3月、マハシヴァラトリ >