プレマサーダナ 2010年12月号
今回、スワミジは、アヴァターの元に参集する人間の内実を照らし、各自それぞれの現実と悟りとの距離を明確にし、私達の自己参照を容易にされます。私達が自らを知る中で、〈悟りへの力、即ち内なる炎がどれ程のものか〉、師に近い弟子と呼ばれる第一のカテゴリーに分類される程私達の熱誠が強力であるべきことを明かされ、私達を鼓舞されます。
参集者の四つのカテゴリー
―― V.――
あなたたちの状態は、次の4つに分類される。
第一のカテゴリーは、師と弟子だ。師と弟子とは、(他の分類とは)全く別種の霊的な結びつきを云う。弟子は、完全に明け渡すべきだ。
第二のカテゴリーは、帰依者だ。「私たちは彼に帰依している。私たちは彼の祝福を得る。私たちは彼を私たちの師として受け入れる。しかし(現在の私たちの心情の故に)彼は、私たちの師であるだけではなく、私たちの家族の一員のようだ。彼は、私たちを祝福する。彼は、私たちに(果たすべき)正しい役割を示す。彼は、私たちが経験する困難と問題について私たちに言う。そこで、彼は私の師、あるいは神、あるいは誰かだ。」
第三のカテゴリーは、「私たちはやって来て彼に会う。彼の祝福を得て、私たちは自分たちの望むところに従って生きる。」
第四のカテゴリーは、この人間としての誕生において、重要なことは聖者の近くに行くことだ。グル、マスター、神聖な人すべてだ。あなたたちはともかくも、彼に会うことができる。

そのように、あなたたちは、4つの異なったやり方で私の近くにやって来る。これらの4つのタイプが、あなたたちすべてだ。たとえ私があなたたちすべてを平等に見ていても、私は、あなたたちを見た後で、あなたたちをそれぞれの規格に置き、あなたたちをそれぞれの箱に入れている。しかし、あなたたちは皆、自分たちはすべて同じ箱に入っていると思っている。もし私があなたたちにそれを言うなら、あなたたちは、私に腹を立てるだろう。なぜなら、時としてあなたは、心配になるかもしれないし、時として、あなたは、自分は私に近くないのだと考えるかもしれないからだ。(自らの思い込みによって傷つく)あなたたちもまた、かわいそうだ。あなたたちはすべて、良い子供たちだ。あなたたちは、私のことを理解できていないが、だからといって、そのことで、私はあなたたちを非難はしない。あなたたちは、アシュラムにやって来て、ここでただ在るということを理解していない。いつあなたたちは、私を理解するのか? いつあなたたちは、そのことを気に掛けるのか? あなたたちは、私への愛を持っている。もしあなたたちが私を愛するなら、私は、その三倍もあなたたちを愛する。私の愛には、利己心のかけらもない。


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(第一のカテゴリーの)
彼らは、完全に明け渡さなくてはならない。彼らにとって、スワミジは神であり、神はスワミジである。スワミジに完全に明け渡した者たちは、神はまた、自らの内にも住まわっているということを知るようになるだろう。悟りを達成できるのは、そのような人々である。あなたたちは、そのレベルの明け渡しに至ることなしに、私に対して、「ああ、師よ、私に悟りを示してください」と頼むことはできない。私の弟子になる者たちすべてが、悟りを達成できるわけではないのだ。あなたは、(自らに端を発する)非常に数多くの問題に直面しなければならない。あなたは、のたうちまわり、自ら作り出した過去の行為の罠に掛かり、雁字搦めになる。それから、あなたは何か他の物に取り掛かるようになる。あなたは問題を作り出し、自分の頭を混乱させ、「私はもう霊性を志すことなんか欲しない」と、そのように考え、そうしてある日、(煮詰まった)思考は、これが私の人生なのかと言うだろう。(煩悩不純物を捨離放擲した)その思考は蒸発して気体となり、それからあなたは、内的にスワミ・プレマナンダの圏内に入るだろう。(だから)あなたたちは、まだ依然として茹でられてはいない。それではどうやって、あなたたち(の思考)は蒸気になり気化することができるのか?そういうことで、今私は、あなたたちを水に入れ、ぐらぐら煮なければならない。あなたたちは、ボコボコと茹で上げられなければならない。そうして気体となり、それから私のもとに来なさい。その後、私はあなたを再び(原初そうであった状態、自らの空無に)目覚めさせなければならない。その後、あなたはただ沈黙しているだろう。誰かが来てあなたに何を尋ねても、あなたは「私には分かりません」と言うだろう。あなたは、自分がすべてのことを知っているように話さないだろう。あなたは、「師はそのようにおっしゃっている」としか言わないだろう。これが、第一のカテゴリーだ。

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第二のカテゴリーでは、あなたは、自らの師に信を持つ。あなたは彼を師として受け入れており、師もまたあなたを弟子、シシャとして受け入れている。しかし、あなたの家庭生活においてあなたは仕事をしており、チャリティーをする。あなたはセンター・コーディネーターのようなものである。あなたが師に対してどのようなタイプの奉仕を行なうことができようと、あなたはそのタイプの奉仕を行っている。彼らは師のセンターを運営しており、彼らは師の教えを皆に説く。これは、イエスの12人の弟子達が行った仕事だ。これが、第二のカテゴリーの人々だ。

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(第一のカテゴリーの)師と弟子の場合、〈師の圏内に入った〉弟子は、自分自身でどのような決定も下す権限はない。あなたは、師に尋ねた後でのみ、決定を下さなければならない。もし彼がイエスと言うなら、そのとき、あなたはそれを行わなければならない。彼がイエスと言った後で、たとえそれが失敗した結果になってもそれはOKだ。なぜなら、師がOKと言ったからだ。だから、彼は、あなたがそれに関して失敗するだろうことを知っていたのだ。彼は、予めあなたが失敗することを容認している。しかし、彼はそのことをあなたに言わないだろう。彼は、あなたが失敗し、結果に直面して、それからそれを止めてもらいたいのだ。(結果に直面した)そのときのみ、あなたは成熟するだろう。シシャは、体験を通して知識を得るべきなのだ。それは、偉大な知識だ。あなたが耳にする助言やあなたが本から読むものは無駄だ。あなたが体験を通して獲得する知識は、あなたが進まなければならない(独自の)方向を示すだろう。あなたが師にそのことについて尋ねると、彼は「OKだ、あなたはその方向で進みなさい」と言うだろう。

第二のカテゴリーはそうではない。師と師への奉仕だ。スワミの服を受け取って彼のために服を洗う。私は、あなたたちにそれをしてもらう必要はない。今やそれは洗濯機が引き受ける。私は、これを私のために言っているのではなく、その伝統的なやり方があることについて話しているのだ。1万年前の昔だ。師の服を洗濯し、彼の手を取り彼の手を引くために、このようなことすべてを素早く行うためには、あなたは、師の思考所作を理解しなくてはならない。彼を理解しなかったら、あなたは、彼の手を取りに行くことはできない。あなたは彼の手を取るべきでない。あなたは、彼のやり方を知るべきであり、そのときのみ、彼の手を取りに行くべきなのだ。(徹頭徹尾只管師の思考所作に同調するよう自らを訓練する)それが、第二のカテゴリーだ。あなたは、彼のことをよく知る。それが、第二のカテゴリーの師だ。

それから、第三のカテゴリーだ。このカテゴリーでは、師を知らずに、あなたは、ただやって来て、「ああ、私のグル」と言って、グルをハグしキスする。私は気にしない。それは間違いではない。師は(収監と死を含む)すべてのことに対して用意ができており、師は何も恐れない。・・・・・そこで、第三のカテゴリーは帰依心だ。

第四のカテゴリーは、ファッションだ、分かるね? スタイルのように、あなたたちは、スワミ・プレマナンダは自分のグルだと言う。それが第四のカテゴリーだ。
(グル、センセイ・・・などが、ここで云うファッションにあたる)

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このように、数多くのものが、私の内側にはある。その甘露を引き出し、飲みなさい。私の内には、数多くのものがあるのだ。私がサマーディに行く前に、あなたたちがすべてを引き出すことを願う。もしあなたたちが引き出さないなら、私に何ができよう? それが、手順なのだ。求めなかったら、あなたたちは与えられるべきではないのだ。それらを求めたら、あなたたちは、与えられることを拒むべきでない。
・・・・・私は、霊的な要点と霊的な見解、真理をあなたたちが理解できるやり方で話した。神が私に与えられた恩寵に基き、私は語っている。私は、何一つ、自分で話しているのではない。私は何も知らない。この身体は普通の身体だ。いつの日か、それは死ぬ。私に与えられた魂は、神によって与えられた。神によって与えられたその魂を、私はよく理解している。私はそれをよく知っている。私は、それを見ており、それを理解しており、それこそ、私があなたたちに話していることなのだ。私はどのくらいの間このことを話すのだろうか? 私はこのことを、私の両親によって与えられた身体を私が持っている限り話すだろう。私は、1983年に、スリランカからインドにやってきた。だから、私は死ぬ時インドにいるだろう。私は死を恐れていない。

・・・・・私が昨日話したことは、必ず実現するだろう。瞑想、ダルシャン、普通の寺院において、神に非常に帰依している数多くの人々が、確かに、自己実現を達成するだろう。このことは、必ず実現するだろう。この身体がサマーディに入る前に、それは実現するだろう。

ジェイ・プレマ・シャンティ
スワミ・プレマナンダ

< 2008年3月、マハシヴァラトリ >
‐この法話もまた、スワミジのタミル語を聴聞参照して起草したものである‐