プレマサーダナ 2011年1月号
愈々(いよいよ)この法話を以て、今回の下生で予定されている神の生涯の11の区分について、スワミジは明かされます。それぞれの生涯区分は、それに対応する予定された人々をこの世界から惹き付け、その11のグループはその成熟度に従い、神の存在を知らしめるべく世界各所に配されたことを化身は明かされます。

神の化身はそれぞれ、その時代に必要なエネルギーを宇宙から携えてこられ、人類がその務めを果たすなら私たちはその神性のエネルギーを使って自らを高め、地球を救い、この星に神性に即した文明を創造してゆくことを明かされます。スワミ・プレマナンダは、この星が聖惑星となるべくその土台を敷く為、この後2500年間この星に止まると明言されます。スワミ・プレマナンダ ‐ そして次にはシカゴへと下生なさることを、この神の化身は約束されます。

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(―――神性下生の目的の為に設定された、2009年当時の在り方についていけず、内心怒り不機嫌になっているアシュラム居住者たち、滞在者たちを前に―――)
霊性における主題は、幸福であるということなのだ。あなたたちは陰気な顔をしているべきではないが、しかしただ笑って一緒におしゃべりしているべきでもない。あなたは、心を開いて腹蔵なくあらならねばならない、つまり、あなたたちは、すべての人に微笑んで親切に話さなくてはならない。それを私のために行ってはならない。それがあなたにとって良いのだから、行いなさい。
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私は一人の帰依者に、私はもうあと何年生きるべきかと尋ねた。彼女は、私はもう何年も長く生きるべきですと言ったが、それは正しくない。あなたは、私が何歳まで生きるべきなのかを私に言わなければならない! あと、もう二つの世代のやって来るべき帰依者たちがいる。だからもしあなたが、私はもうあと何年間生きなければならないのかを私に言うなら、そのとき私は、それに応じて、その年月を二つのグループつまり二つの世代のために半分ずつ分けることができる。15歳で私は霊性の生活を始め、その当時、私には共にいる帰依者たちのグループがいた。そのグループは、今私のもとを去っている。それぞれの世代は何年間私と共にいるのか?それは十日間かもしれないし、十年かもしれない。これがスワミ・プレマナンダ・ジェネレーションである。イエス・キリストには、12人の弟子がいた。私は、12人の弟子を持たなかった。代わりに私は、11のグループあるいは11の世代(神の生涯の目撃者たち)を持つだろう。一つのグループは、私の奇跡のすべてを見た。これらの異なるさまざまなグループすべてが、私のさまざまに異なる行為を見た。私に会いに来る予定の最後のグループは、私の沈黙を見るだろう。私と共に居た最初のグループは、私とおしゃべりすることができ、私たちは冗談を言い笑ったりして共に楽しんだ。そのグループが私に会いにやって来て、私がモウナムの内にあるなら、彼らは怒りを感じるだろう。彼らは、私の沈黙にうんざりするだろう。しかしながら、私がモウナムの内にあるときに私の周りにいるであろうグループは、私の沈黙を好むだろう。私は、誕生以来、十のさまざまに異なる仕方で行動してきた。私が生まれてから変わっていない唯一のことは、マハシヴァラトリの最中にリンガムを生み出すことだけである。十歳の時、私はあるやり方で振舞っていた。私が十七歳だったとき、私は違うやり方で振舞っていた。インドにやって来る前、私は特定のやり方で振舞っていたし、それから、インドへやって来た後、私は別のやり方で振舞っていた。私がインドで数多くの聖者たちおよび賢者たちに会ったとき、私は、さらに異なるやり方で振舞っていた。

これは(訳注 御自分を指して)、古いスワミ・プレマナンダではない。これは、8番目のスワミ・プレマナンダだ。私が10番目のプレマナンダになるとき、私は、ただあなたたちを見て笑うだろう。あなたが私に何を尋ねようとも、私はただ頷くだろう。もしあなたが、「スワミ、私は結婚するつもりです。スワミ、私には仕事で問題があります」と言うなら、そのとき、私は、ただ頷くだろう。だからそのとき、あなたたちは私が何をするつもりなのか分からないだろう。私は、モウナムの内にあるだろうから、あなたたちは決して分からないだろう。もし私があなたたちの問題を解決しようと思うなら、そのとき、私はそうするだろうが、もし私がそれは時間の無駄だと思うなら、そのとき、私は、何もしないだろう。現在、私は、8番目のプレマナンダであるから、あなたにこう言う。「私は、これやあれをあなたのためにするつもりはないが、斯く斯く然々のことをするだろう」と。私が3番目のプレマナンダであったとき、もし誰かが問題を抱えて私のもとへ来たなら、私は、彼らを私の車で連れて行き、リンゴやお菓子や彼らが頼むものを何でも物質化し、彼らの問題を解決し、彼らを送って行ったものだった。それは一時のことだったのだ。今日、あなたたちは8番目のプレマナンダを見ているのだ。

もしあなたたちが、今あるような私、つまり8番目のプレマナンダに会いに来て、5番目のプレマナンダであったときと同じやり方を私に望むなら、あなたたちは愚かだ。その時は、終わったのだ。過去は過去なのだ。私が9番目のプレマナンダになるとき、私は、異なったやり方で振舞うだろう。私が既に9番目のプレマナンダになったとき、あなたたちが私に、8番目のプレマナンダのように振舞うことを望むなら、そのときそれは、愚かなことだ。では、あなたたちは、8番目のプレマナンダから何を学ぶことができるのか?あなたたちは、私から何でも学ぶことができ、あなたはそれをしなくてはならないし、それを仕上げ終わりにしなくてはならない。私があなたたちにしてもらいたいと思っていることは、それだけだ。あなたたちの時間を無駄にしてはならない。怠惰でいてはいけない。あなたたちは若い。あなたたちは、60歳ではない。あなたたちが60歳になったとき、往時を振り返り、それに拘泥しているべきではない。あなたたちはその若い時に、何を達成したいのか?あなたたちは、どのような霊的状態に達したいのか? あなたたちは、それについて学ばなければならないし、それを仕上げ終わりにしなくてはならない。あなたたちは、スワミ・プレマナンダが死ぬ時まで一緒に生活したいと考えているのか?あなたたちは、そのように考えるべきではない。私のみが、その秘密について知っている。私のみが、ある人がどれくらいの間私と共に居るか知っているが、しかし、私はあなたたちにそれについては話さないだろう。その時が来たとき、あなたたちは、私のもとを去るだろう。神は、あなたたちがどのくらいの間私と共にいるべきなのかをお決めになっている。私はこの時期、あなたたちのもとに来ており、あなたたちによりいっそう近づいているが、しかしあなたたちは、私から逃げている。それは間違っている。もし私がある人に、内的に私の近くに来るよう言うが、彼らは私から遠く離れていたがり、それでいて外界で私のために働きたいと思うなら、そのとき、それは間違っている。もし今があなたの時なら、内的にあなたは私の近くに来なくてはならない。なぜ、あなたは私から内的に遠く離れているのか? 私は、これをあなたに一度、二度、三度言うことができる――もし私がそれをあなたに四度言うなら、そのとき、それはまるで私があなたに強いているかのようだろう。あなたは私の子供であり、あなたは私のもとへ来た、だから、私の願いは、あなたが光を見るべきだということなのだ。それだけなのだ。私はあなたにその光を示すことができるが、しかし、内的な実質において、あなたは私のもとへ来なければならない。私は、あなたを傷つけたくないし、あなたを不愉快にさせたくないが、しかし私は、年を取りつつある。私は、昨日の私であった状態ではないのだ。六ヵ月の内に、私はさらに違っているかもしれない。あなたが今私から学べるものを学びなさい――それをもっと後で学ぶことができると思ってはならない。

これは、8番目のプレマナンダだ。もしあなたが、スワミが5番目のプレマナンダだったときにスワミの周りに居たのなら、そのとき、あなたは、その5番目のプレマナンダを見ることを止めるべきなのだ。あなたは、私が今8番目のプレマナンダであることを見るべきなのだ。私は、まもなく9番目のプレマナンダになるだろう。私がひとたび9番目のプレマナンダになるなら、そのとき、あなたは、8番目のプレマナンダを忘れるべきなのだ。そのとき、あなたは9番目のプレマナンダに応じて振舞わなければならない。それから、10番目のプレマナンダがやって来るだろう。そのとき、あなたは、8番目のプレマナンダであるよう私に頼むことはできない。私が10番目のプレマナンダになるとき、私は、モウナムの内にあるだろうから、あなたもまた、私と共に沈黙していなければならないだろう。それが、あなたにとっても、また私にとっても良いだろう。7番目のプレマナンダは、プレマナンダ・アシュラムにいることを好んだ。9番目のプレマナンダは、きっと此処にはいないだろう。9番目のプレマナンダは、此処〈プレマナンダ・アシュラム〉に居ることを決して好まないだろう。私は、それを知っている。10番目のプレマナンダもまた、此処に居ないだろう。そのレベルのために、私は場所を選び、その場所へ行くだろう。10番目のプレマナンダは、すべてのことに用意ができているだろう。もし私があなたたちにこのこと=q神によって予め定められていたこと:――帰依者を主張する者たちが破壊フォースの通路となり、師を暗殺する側に就いて奈落へ堕ちて行くこと〉について話すなら、そのときあなたたちは、〈物事を成就させるべく去って行く〉私に腹を立てるだろう。あなたたちは、スワミがアシュラムにいるとき、自分の担当部門の仕事をしないのだから、では、なぜ私はここにいるべきなのか? あなたたちは、何のために私に此処に居て欲しいのか? なぜ私は、此処にいなければならないのか? あなたたちは、私にあなたたちのように怠惰で眠っていて欲しいのか? 私は、そのために此処には居ない。もし私が来るなら、私は働きたいのだ。もし霊性を教える仕事が全くないなら、そのとき、私は、プレマナンダ・アシュラムを去りたいのだ。私は、そのようであるのだ。私は気短ではないが、しかし、自分の時間を無駄にすべきではないと思っている。

ジェイ・プレマ・シャンティ
スワミ・プレマナンダ

< 2009年2月、マハシヴァラトリ >
- プレマ・サーダナ 了 -