スワミ・プレマナンダ ―質疑応答―


17の質問に続き、『未知の世界』に掲載予定の質疑応答です。
この度の質問者は、自ら指導者を自認して講演もこなしている方です。ご自分の質問に対して、『真理である解答を自分は既に知っている』という自負を持って、大聖に質問されました。
その自我の思いに対して、それでは質問者本人の霊的成長は望めないと、大聖は告げられます。


2008年10月

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ただ一つの神しか存在しないのだということを、人々はいつ理解するのでしょうか?さまざまな諸宗教は、将来一つになるのでしょうか?

人類が自らの真の本質を完全に理解したときのみ、すべての宗教は一つになるだろう。そのような訳で、私は人間を向上させるために、助言を与えなければならないのだ。

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2012年に、全世界に影響を及ぼす大規模な自然災害が起こるでしょうか?

津波の発生といった、いくつかの災害が世界で起こるだろうが、それだけだ。世界は滅びないだろう。

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スワミジ、あなたは一人のカナダ人帰依者を死から蘇らせ、数多くの人々がそれを目撃しました。あなたは、それをどのようにして行なったのですか?

シヴァラトリは、皆が神への信を持ってやって来る時だ。皆、いつかは死ななければならない。しかしながら、この個人が死ぬ運命にあったのは、その日ではなかった。私は神について考え、彼を祝福した。神がこのことを行なったのだ。私ではない。
     (この出来事は、シヴァラトリ――シヴァの祝祭の夜――に起きた。)

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自動車、飛行機、船などのための石油は、まもなく全世界で完全に底をついてしまうのでしょうか?そのとき、何が起こるのでしょうか?

石油資源が完全になくなるときまでに、自動車は水で走るだろう。
   
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リンガムの祝福を受けた後、不治の病さえも治る人々がいますが、これはすべての人に起こるわけではありません。それは、何によって決まるのでしょうか?なぜ、治る人と治らない人がいるのですか?

なぜシヴァリンガムでの祝福が効果を持たないのかに関しては、さまざまな理由がある。シヴァリンガムの祝福の効果は、あなたの神への信に関係がある‘リンガムの祝福を中継する者たち’‘受け取る者たち’がそれを当たり前の出来事と見なすなら、それが思いやりなしに金銭の為に行なわれるなら、つまり、彼らが神への信を持っていないなら、―― 神の振動と同調せず離反している結果として ――治癒は起こらないだろう。もう一つの見方は、その祝福を受けている人が前世からの非常に強いカルマ(自らの心的態度と行為とによって、現象することを待つ素因)を持っているので、彼らは癒えることができないということだ。

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あなたは将来偉大な弟子たちを持つのでしょうか?

私は、自分がきっと弟子たちを持つだろうと期待していないが、神に非常に帰依している人々(自我を神への菩提に置き換えた人々)が私の近くにいるだろう。そのような数多くの人々が私と共にいるだろう。

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魂が肉体を離れるとき、それが別の誕生をとるまでにどのくらいかかるのですか?死と別の誕生の間の期間は、平均でどのくらいなのですか?

イティハーサ経典(聖なる経典)とシッダとして知られている強力な聖なる人々は、8年間だと言っている。

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キリスト教には、ヒンドゥー教のそれに類似しているが、ユダヤ教のそれとは異なっているたくさんの儀礼があります。例えば、師の御足の礼拝や、神聖な河で沐浴することによって罪が除かれることがあります。さらに、イエスはユダヤ人でしたが、神を自らの父と呼び、それはユダヤの文化にとって普通ではないですし、数多くのヒンドゥー教の聖者たちの場合のように、イエスにとって最も重要な事は、神と他の存在への愛でした。これは、イエスがその生涯においてインドに居たことを物語っているのでしょうか?

あなたは、イエス・キリストはインドへやって来た、あるいは彼はやって来て去ったと言うことができるだろう。あるいはそれどころか、すべての宗教の諸儀式は一つであり、イエス・キリストは自らの英知を通して教えたのだと言うことができるだろう。これが私の見解だ。あなたたちは、彼が神のメッセンジャーとしてやって来たことを受け入れている。彼がこの知識を得るために必ずしもインドへやって来なければならなかったのだと考える必要はない。大地の下の水の中では、仲良く共存している数多くの生き物たちが存在する。同様に、地上に誕生するメッセンジャーたちもまた、世界が一つであることを常に心に留めている。

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へブライ語で聖霊を表す言葉は、女性名詞の”ruah”であり、福音書の中では鳩に象徴されています。イエスとその弟子たちは、彼らの手を弟子たちの頭の上に置くことによって、他の弟子たちに聖霊の力を授け、その後で彼らは、他の人々を癒やすための力といった、さまざまな力を得ました。聖霊を得ることはしばしば、弟子たちの頭上に火炎として描かれています。ヒンドゥー教の伝統でも、イエスが行なったのと同じやり方で、師はシャクティ(神聖な女性エネルギー)を移し、このエネルギーは脊柱の基底部から頭頂まで上昇する火のエネルギーとして描写されています。神聖なシャクティと聖霊は、同じ神聖な女性エネルギーを表す言葉であると言えますか?

彼らは、その時代と状況に応じて神の力について教えている。あなたは、聖霊をヒンドゥー教のシャクティと比較したがっている。実際には、すべてのダルマは同じものなのだ。小さな相異を見つけること及び、これはあれから由来するのか、これから由来するのかと思うことは、鶏が先か卵が先かと尋ねているようなものだ。

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アーカーシャの記録とは、どのようなものですか?それを活用することができるのはどのような人ですか?
      
〈アーカーシャの記録:生命素に記録された宇宙の全生命記録〉

これはすべて、大いなる瞑想の状態にあったリシたちからもたらされている。人間たちが科学と英知を持つのは、彼らを通してだ。
      
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あなたの弟子たちの中に、悟りを得た者はいますか?あなたの他の弟子たちは、彼らの生涯において悟りを達成するでしょうか?

悟りは、私の手の内にあるのではない。私は導き、助言し、教える。もしあなたが、私に完全な信を持ち ― 神の振動に同調し ― 私の教えるやり方に従うなら、あなたは確実に悟りを達成するだろう。しかしながら、それを無理やりあなたにさせることはできない。成熟することは、人が自ら行なわなければならないことなのだ。

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あなたは、あなたの帰依者たちのいく人かに瞑想のためのマントラを与えています。それは、彼らの霊的な発達においてどのように助けになるのでしょうか?

マントラは神の御名だ。神は名も形も超えたものだが、神に到達するために御名と御姿を用いることは、あなたのマインドを一点に振り向かせる助けになり、マインドを正しい方向へ行かせるよう支える。

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あなたから与えられたマントラは、あなたの帰依者たちにクンダリーニ・シャクティの覚醒をもたらすことができるのですか?

クンダリーニを覚醒させるとは、マインドを一点に向かわせ、瞑想の高位の状態を達成することを意味する。

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(私が教えている)‘私たちの内側で働くマントラの複数のステージ(諸階梯)’とは、どのようなものですか?

マントラは、人間の内に神への信頼を作り出すよう意図されて作られてる。

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あなたは、個人的なリンガムを、あなたの帰依者たちのいく人かに与えています。彼らは、これらのリンガムにプージャを行なうことによって、何を達成できるのですか?

プージャを行なうことによって、あなたは、自らの内に神への信頼を生じさせることができる。



これらの霊性の質問の中で、私は神のメッセンジャーたちについて話した。アヴァターたち、つまり大聖方は、神によって地上に送られている。かれらは神そのものである人々であり、そのような存在方が一人また一人と、そのようなやり方でやって来ることは、稀なるすばらしいことなのだ。神の力は、そのような存在方において彼らの子供時代から明かされる。彼らはまた、多くの困難と反対に直面する。

さらに、霊性の師に完全な信を持ち、師の言葉を受け入れ、師の言葉を通して霊性を学び、存在の成熟した状態を達成する人々もいる。――数多くの霊性の段階があるのだ。人々は、さまざまなレベルで、そして(、外界で、内界で、)さまざまな方法を通して教えられているのだ。あなたは、自分が教えるすべての人の段階は同じものであると考えながら、質問を尋ねている。私は、あなたのレベルに留まって答えを与えることはできないが、しかし、もし私が真理の状態からあなたの質問に答えるなら、あなたはそれを理解できない。

私は、あなたが期待している返答を知っている。私は、あなたの質問の中に、その返答を見い出している。あなたの質問が正しくないなら、内包される答えもまた、間違ったものになるだろう。あなたは、私が間違った返答を与えることを期待していたかもしれないが、しかし、私はそうすることはできないし、あなたの間違った質問に対して私が与える返答は、あなたには間違っているように思われるだろう。(自我拡張を求めるあなたに対して)私に何ができるというのだろうか?

霊性においては、数多くのステージ=境地が存在する。

1.一つは、私たちを超えた至高のフォースが存在するもので、そのフォースが人をこの世界に送り、その人を通してその仕事を行なっている。

2.もう一つは、人がこの世に誕生したとき、ある段階で神から力を受け取る。

3.さらにもう一つは、人が世俗的な快楽から目を背け、霊性の実践を通して、マインドを一点に向けさせつつ、至高の力を知ろうと努めるときだ。(回向した)そのとき、人が奮闘を経てまたは経験を通して認識したものがどのようなものであろうと、それもやはり、(その人にとって)それまでとは違うステージ=境地なのだ。

霊性のステージ=境地に関して、そのような数多くのレベルが存在する。アヴァターたち、シッダたち、リシたち、聖者たち、探求者たち・・・等々。あるいは、シヴァへの帰依を通して悟った人々、神の恩寵に満ちた人々、帰依者たち・・・等々。このようにして、すべての人を何らかのカテゴリーに入れることはできよう。しかしながら、あなたが(自らの教える)すべての人を同じカテゴリーに入れて――その誤った認識を土台にして、それから質問を尋ねるなら、私はどのようにしてあなたを導くことができよう。

ジェイ・プレマ・シャンティ!
スワミ・プレマナンダ