A) 2007年8月7日
どのようにすれば私たちは、神聖な存在を最大限生かすことができるのか?
質問: スワミジは、スワミジが出て来たとき、私たちがスワミジのことを善用するだろうかと疑問に思っているとおっしゃいました。今、スワミジは一週間ここにいらっしゃいます。この間に、どのようにすれば私たちはスワミジを最大限活用することができるでしょうか?
スワミジ: まず、あなたたちは忍耐強く考えるべきだ。私はこの肉体を100年間保つことはできない。私はしばらくの間ここ(訳注 地上)で過ごし、それから一旦、サマーディに入らなければならない。
私はサマーディに入った後でも、あなたたちの問題を解決し続けるだろう。このことは、すでにあなたたちに言ってある。
約2,000年前にこの世界にやって来たイエス・キリストのことを考えなさい。当時、すべての人がイエス・キリストの神聖な諸力を理解したわけではなかった。ほんの少数の個人たちしか、それらを理解しなかったのだ。もしイエス・キリストがそこに存在しつづけていたら、全世界が霊性に関わっていただろうに。彼らは、イエス・キリストが教えることができないよう、彼を告発した。彼らは彼を刑務所に入れ、十字架にかけ、殺した。当時ほんの少数の人々しか彼のことを理解しなかった。あなたたちは皆聖書を知っている。だから、私はこれ以上このことについてあなたたちに言う必要はない。世間の人々は、イエス・キリストを全く理解しなかったのだ。彼らは、彼の神聖な諸力を認識せず、彼の教えを理解しなかった。彼らは彼の教えに従わず、最終的に彼を殺すことしかしなかった。普通の人々が彼に対しこれを行なったのだ。
そのような普通の人々の中には、あたかも自分たちが霊性に関わっているかのような振りをする人々もいた。これを行なったのは、そのような人々だ。彼らも、霊性に関わっていた人々だったが、しかし、彼らは、自分たちにとって、霊性の道にある他者つまり他の偉大なアヴァターたちや聖者たちを敬うことは不名誉なことだと考えたのだ。彼らは、もし皆がイエス・キリストを敬い彼に従い始めたら、そのとき、人々は、もはや自分たちに敬意を表すことも、自分たちを崇拝することもしなくなるだろうと考えたのだ。これは、霊性という毛布で自分たちを覆い隠している人々だが、しかし、彼らは本当に霊的な人々ではない。王国における評判と名声を欲し、諸王たちが自分たちに信を持つことを欲した人々だ。
同様に、ゴータマ・ブッダは2,500年前頃に生きていた。彼もまた、同じ問題に直面した。彼は王、ブラーミンの王であり、ヒンドゥー教徒だった。けれども、当時の諸王たちと彼の実の父親さえもが、彼をヒンドゥーの霊性の道に行かせたがらなかったため、彼はヒンドゥー教にうんざりしたのだ。
当時の諸王たちは、偉大な徳の高い人々に会いに行き、そのような人々から恵みを得ていたものだった。王はこう頼んだ。「私の息子がヒンドゥー教のサンニャシンになりたがっています。彼は私の一人息子です。もし彼がこの道に進んだら、私の国を治める者がいなくなります。ですから、どうか私の息子にこの国を治めさせ、結婚生活を送り、国民のために良いダルマと慈善を行なうようにさせてください」。
聖者たちは、こう言うのが常だった、「私たちはあなたの息子を祝福する。そうして、もし彼が祝福を得に私たちに会いに来たら、そのようにしよう」と。
これが、ブッダに起こったことだ。彼らはブッダに、物を物質化でき、未来を見ることができる偉大な聖者に会いに行かなければならないと言った。彼らはこう言った。「もし聖者が、お前は霊性の道に進むべきだと言うなら、そのとき、お前はそうすることができる。もし彼が、お前は国を治めるべきだと言うなら、そのとき、お前はそれを行なわなければならない。なぜなら、彼はあらゆる神聖な諸力を持ち、何でも行うことができるからだ。お前が彼のダルシャンを受けるとき、お前の部屋さえもその神聖に満たされるほどの、彼は偉大な聖者なのだ」と。そこで、ブッダはすぐさま、その聖者に会うために、馬を付けた一人乗りの軽二輪戦車で出かけた。彼は、「私はサンニャシンになりたいのだ!」と考えた。しかしながら、その聖者は、彼はサンニャシンになるべきではなく、国を治めるべき人間であると言った。これを聞いて、ブッダは、自分は森に住むべき者だ!と答えた。こう答えて、彼はそのまま森へ行き、7年間昼夜を問わずぶっ続けの瞑想を始めた。
森の中で彼は、木の下で瞑想した人々の数多くの骸骨を見た。彼はこう考えた。「たとえ死のうと、私は構わない。私は悟りたい、私は悟りを得なければならない」と。彼はそのことにおいては断固としていた。そこで瞑目して座る前に、彼はこう言った。「神よ、もし貴方御自身が私のいる場所に食べ物をもたらしてくださるなら、そのとき、私は食べます。そうでなければ、私は何も食べません」と。彼は瞑想し、ますますやせ細っていった。彼がまさに死の瀬戸際にあったとき、食べ物が独りでに彼のもとに来た。彼はその食べ物を食べ、悟りに達した。その後、彼は、ブッダ・サナタナ・ダルマ
※を教え始めた。
ブッダは、いかなるエゴも持っていなかった。彼は、いかなる嫉妬も持っていなかった。彼は決して噂話をしなかった。彼はいかなる悪い特質も持っていなかった。王として生まれた人が森の中で7年間瞑想し、最高の境地に達し、この世界に霊性を教えていたのだ。
彼がこれを行なっていた当時、この国では、言語、宗教およびカーストが国家全体に確立していた。この霊的なブッダは、カースト、宗教、言語に基づいて人々を差別しなかった。ほぼ1,000人の人々がブッダから(訳注 出家の印の)衣を受け取った。彼が彼らに教えたことは、噂話をしゃべらないことと常に神のことを考えることだった。
彼が教えを説いていた間、ブッダから衣を受け取った数多くの王子たち――約500人ほど――がいた。彼らはすべてブラーミンだった。低いカーストの諸王の息子たちもまた、ブッダから衣を受け取った。彼は、カーストや宗教を基に差別をしない人だったので、すべての人に衣を与えた。2,500年前、彼らは同じ場所で全員一緒に食事をしていた。高いカーストの人々と低いカーストの人々が全員一緒くたになって、一緒に座って食事をしていた。高いカーストの諸王たちがやって来てこれを見、ブッダがあらゆるカーストの人々を一緒に食事させているのを見たとき、彼らはブッダが正しく行動していないと判断した。彼らは、もし自分たちが他のカーストと混じり合うなら、自分たちの高いカーストが無駄になると考えたのだ。その息子たちは、父親たちの言うことに耳を傾けなかった。彼らは皆、ブッダが彼らに示していた悟りへの道を歩んでいた。諸王たちは、ブッダを軟禁した。
ブッダについての最初の会議が開かれ、諸王はブッダを軟禁した。それから、彼らはブッダを解放した。彼らは、ブッダが食べることになっていた食べ物に毒を入れるよう指示した。
彼らは食べ物に毒を混ぜた。
ブッダはそれを食べて死んだ。なぜ、彼らは彼を殺したのか?
ブッダは、霊性はカーストも宗教も言語さえも見ないということを、世界の人々に如実に示したいと思っていた(からだ)。
私はあなたたちに、偉大な聖者たちやアヴァターたちや霊性の魂たちについて、このような数多くの話を述べることができる。これらの話はすべて100パーセント真実だ。
ここで何が起こっているのか?聖者たちやアヴァターたちが教えているダルマが、彼ら自身に対して毒を盛ることになったが、しかし、彼らはそれについて気にかけない。
これが起こる理由は、人間が人間らしく振舞っていないことにある。
あなたたちは皆、諸外国からやって来る。もし私があなたたちに、あなたたちはドラッグをやるべきでないし、アルコールを飲むべきでない、あなたたちは皆ゆっくりと菜食者になるべきであると言うなら、この良い助言を受け入れる人もいるだろうが、受け入れない人もいるだろう。例を挙げてみよう。私は、このアシュラムを1983年に建て始めたから、2008年で25年になる。あなたたちは、たった今、一人の少年が来て、私の足元に平伏し私を礼拝したのを見た。この少年のために、私は今日刑務所にいるのだ。彼は、ある少女と恋愛した。その少女の母親が私のところにやって来て、その少年は低いカーストの出であり、自分たちは高いカーストの出であるので、娘がその少年と恋愛することを私が認めないよう言った。私はその少女を呼んで、なぜ母親が好まないことをしているのか尋ねた。私は、その少女に愛情を込めて助言した。私がしたのは、それだけだ。
その少女はアシュラムを去って、女性団体に加わり、スワミジが自分を6年前に強姦したと訴えた。彼女がそれは6年前に起きたと言ったので、何の証拠もなかった。私は、彼女に触れたことさえない。彼らは皆、孤児院の子供たちだ。
私は、孤児院の子供たちを育てたいと思っていたが、しかし、彼らは私に害を与えていた。私にとって、そのことは、これらの子供たちを育てるのを止める理由にはならなかった。私に不利な証言を行なった子供たちは今、アシュラムにいる。
私は彼らに腹を立てていない、私は彼らに対し多くの愛を持っている。皆が私に説教し、私に頭があるのかと言った。なぜなら、その子供たちが私のもとに戻って来て、私が彼らの助けを借りてこのアシュラムを運営しているからだ。皆が、なぜ私がこれを行なっているのかと尋ねていた。
私は、人間とは成熟していない者たちなのだと考えている。
もしあなたが蠍に触れたら、蠍はあなたを刺すだろう。そこに火があって、蠍がその火に向かって進んでいる。私は、思いやりの心を持った人間であり、誰にも害が及ぶのを欲しない人間だ。では、私はその蠍を火の中で死なせるだろうか、それとも私はその蠍を救うだろうか?私はその蠍を救う。たとえその蠍が私を刺しても、私は蠍を救うつもりだ。蠍が刺すとき、私にはその痛みがあるが、それは大したことではない。私はいつも良いことを行なっている。
私は、その蠍を繰り返し幾度も救うだろう。
たとえそれが私を再び刺しても、私は気にしない。
常に守り救うことが、私の本質なのだ。私は、なぜその蠍が私を刺しているのか、そしてなぜ私に害を与えているのかを突き止めたいと思っていない。
明日、あなたたちは私に説教するかもしれない。あなたたちは私を批判しさえするかもしれない。私は、このようなことすべてを気にかけない人間だ。私は、私の良心に従って良い人間だ。私は、神に対し誠実だ。私は、自分が良い人間かどうか神に尋ね、神はイエスと言っている。私は、そのことに完全に満足している。もし私がラクシュミに、私が良い人間かどうか尋ねるなら、彼女はこう言う、「いいえ。なぜなら、あなたはいつも私を叱るし、いつも私の欠点を見つけるし、私がすることは何でも間違っていると言っているからです」と。私は、これらのことすべてを気にかけない。私は、ラクシュミが私のことを良い人であると言おうと悪い人であると言おうと、気にしない。私は、神に対してのみ良くありたいと思っている。
質問だ、あなたたちは、私に対しどれ程良くありたいと思っているのか?
あなたたちは、どのようにすればこの一週間の間、私を最大限に活用することができるかを尋ねた。しかし、私たちはたった一週間について話すことはできない。
正しい質問は、どのように神聖な人を最大限自分の人生に生かすか、だ。あなたは尋ねる質問さえ、間違っている。しかし、それは、私があなたに間違った答えを与える可能性があるということを意味しているのではない、違うか?私は、あなたの質問を正さなければならない、そしてその後で、私は、それに対しての正しい答えもあなたに与えるべきなのだ。
なぜイエス・キリストは死んだのか?あなたたちのような、ラクシュミのような、マーチンのような、普通の人々のせいだ。
彼を殺したのは、人間だった。
誰がブッダを殺したのか?人間だ。
あなたたちは、イエス・キリストやブッダの境地を理解していないと考えるべきだ。
あなたたちは、彼らの境地を理解していない。
一週間であろうとあるいは10年であろうと、この質問に対する答えは、あなたたちは彼らの境地を理解すべきだということなのだ。
このことにとって、理解は非常に重要だ。もしあなたが理解しないなら、あなたは学ぶことができるか?もし一人の子供が何か間違ったことをするなら、それは私のせいだろうか?いいや。したがって、あなたたちはその成熟を持つべきなのだ。
スワミジがここにいるので、もしあなたがスワミジの傍らに座ることができるなら、あなたは神を得るだろうと考えることは、正しくない。
そのように考えることは正しくない。
あなたたちは、スワミジのために料理をしたいと思っている。
スワミジのために料理をすることによって、あなたたちは悟りを得ることができるのか?
スワミジの衣服を洗濯することによって、彼のスリッパをきれいにすることによって、あなたは悟りを得ることができるのか?
いいや、あなたはそのようにして悟りを得ることはできない。2,000年前はこのように言われていた。あなたたちは全員、とても教養ある人々だ。あなたたちが如実に知るべきは、理解が非常に重要だということなのだ。一週間であろうと、10年であろうと、あるいはたとえ一日であろうと、もし何の理解もないなら、そのとき、そこには常に誤解があるだろう。誤解の意味するものは何か?もし理解があるなら、そのとき、あなたは彼を知ることになる。もしあなたが彼を誤解するなら、そのとき、あなたは彼について知ることはできない。それがすべてだ。私はあなたたちに短く答えを言うべきではない。あなたたちが非常に良く理解できるように、いくつかの話を用いてあなたたちに答えたいと思う。
その少女がこのアシュラムから去って、このような作り話を言ったのは、悪いことではない。私は、このことを悪い行為と見なさない。その少女は男性と恋愛し、私がそれを止めたので、このために、彼女は非常に腹を立てた。それは、彼女のせいだろうか?ここにいる少女がボーイフレンドを持つことを想像してみなさい。私は、もしあなたが望むなら、あなたが彼と結婚し彼と一緒にいることができるが、彼はあなたが死ぬまであなたの面倒を見るだろうとは信じないと言うだろう。私が言うことができるのは、それだけだ。仮にもし私が彼女に、「彼とは結婚するな!」と言うようなことがあれば、そのとき、もしその少女が私に対し腹を立てるなら、彼女は行って私について何かを言い、そのとき、私たちは別の問題を持つことになるだろう。
あなたたちは全員、まだ成熟していないのだ。
私はあなたたちの近くに来ている。
私は常に危険な状況の中にある。
そのようなわけで、私は常に、私を理解するようあなたたちに言っているのだ。
私は、あなたたちに対しいかなる個人的な怒りも持っていない。
時が来れば、私はフライト・チケット、つまりサマーディー・チケットを予約しなければならない。
その前に、あなたたちは私から何かを学ばなければならない。
なぜあなたたちはそれを行なわないのか?あなたたちは7日間学ぶことによって悟りを得ることができるか?ブッダはたった7年で悟りを得た。彼はなんと偉大な王だったのか!彼は、数多くの快適にする設備と贅沢品を持っていた。あなたたちは何も持っていないが、しかし、見せかけの演技をする。このことはすべて、あなたたちの時間の無駄だ。神に近づきなさい。
これが、良い質問であり、それに対する良い答えだ。
(注 文中のラクシュミ、マーチン等は、実際にサットサングで述べられた名ではなく、置き換えられた名前である)
―――
・・・あなたたちは、自分自身を成熟させずに、依然として偽りの中にある。あなたたちは、自分自身を欺いている。あなたたちは、「霊性、霊性!」と言い、自分たちの上に霊性の毛布をかぶせている。あなたたちのマインドの中にも、ハートの中にも、想念の中にも、霊性は全く存在しない。・・・(2009年マハシヴァラトリ)