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参照5 考察



かつてのラーヴァナの宮殿は、なぜ、海中に没したのか?
かつてのクリシュナの生誕地は、なぜ、海中に没したのか?
即ち、アヴァターに敵対したというカルマをその地が背負ったが故にいまその地は海中に没していることを、惑星上の変化と破壊、人類による苦闘と奉仕を語りながら、以下の法話でスワミジは明かされている。

津波という現象に光を当てる (2005年1月)
スワミ・プレマナンダ

私は、津波は今だけ起こったのだと言うことが正しいと考えていない。人類は、この世界に2千2百万年間以上ずっと生きている。ユガ(ユガとは霊的な期間)ごとに、人類は災害で死に、新しい人間たちが生まれてきた。

初期には、人類は非常に苦しんだ、彼らはアジュナナムつまりこの世の科学知識の状態に達することができたけれども。今日の科学知識は、絶えず発展している。当時も、科学知識は発達していたが、それは今とは異なるやり方であった。今日、あなたたちは、空を飛ぶことによって旅行することができると言う。以前、彼らもまた、空を飛んで旅行するためにプシュパカ・ヴィマナムという空飛ぶ乗り物を用いた。ラーマーヤナ経典で、どのようにラーヴァナがシータを誘拐するために一種の飛行を用いたかを、あなたたちは読むことができる。これは、飛行機も燃料もなしでだった。ラーマは、ラーヴァナの宮殿を破壊しなかった。彼は、ラーヴァナの兄弟ヴィビーシュナナムを王にしたが、その宮殿は、今海の中に沈んでいる。同様に、インド北東のマトゥーラという古い都市(クリシュナの生誕地)は、海の中に沈んでいる。このように、陸が海になり、海が陸になっているのだ。しかしながら、いつも、決まってこの地球上には、残り破壊されない諸部分がある。だから、人々は移動し、木々を植え始め、その場所を耕した。千年ごとに一度、(複数の)地震が大きな諸変化をもたらす。

千年ごとに一度、津波のような出来事も起こる。これは重力および5つのシャクティ、つまり水、地、空気、火、エーテルの動きのせいである。タミル語で、これら5元素をパンチャ・ブタンガルと呼ばれる。これらの巨大なシャクティの動きは、非常に強力であるため、それらが惑星上で数多くの変化を引き起こす。

この破壊は、惑星を破壊しないだろう。巨大な5つのシャクティによって引き起こされるそのような諸破壊から、あなたたちは、人生とは儚いものだということを学ぶことができる。巨大な5つのシャクティは、あなたたちの土地、財産への欲望、金を稼ぐこと、仕事および地位は、永遠に続くものではないのだということをあなたたちに気づかせる。何一つ、永遠には続かないのだ。人々が海で溺れたとき、彼らは、何も持っていかなかったが、津波の被害を受けた人々は、自分たちの家を失い、子供を、家族を失った。彼らはたいそう苦しんでいる。彼らは失ったために傷つき、自分たちの生活を再び安定させようと苦闘している。この状況における、彼らへのあなたたちの奉仕とは何か? 彼らのことを考えずに、あなたたちがすべての快適さを楽しむことは正しいのか?

このあなたたちが生まれた地球上で、あなたたちの同胞がすべてのものを失ってしまっている。この状況において、あなたたちの同胞に対し提供された助けは、神に助けを提供することと同じだ。

この地球上に生まれているすべての人が、その真実を認識しなくてはならない。あなたたちだけが、幸福に生きなければならないと考えてはいけない。すべての人が幸福に生きるべきだと考えなさい。もしあなたたちがそれに応じて行動するなら、あなたたちは偉大な奉仕を行なっているのだ。

ジェイ・プレマ・シャンティ!


あなたたちが体験した津波は、マハーバーラタとラーマーヤナの太古の昔に起きた津波と同じだ。あなたたちが今日見ているマドライの都市は、当時は存在しなかった。当時は、マドライは海の下にあった。なぜか? これは、津波のせいで起きたのだ。・・・(2009年マハシヴァラトリ)


・・・世界は、もう百万年間ここに存在するだろう。しかしながら、滅びるであろうし、滅びなくてはならないこの世界の特定の諸地域は、あるかもしれない。これは、過去百万年間、ずっと起きてきている。これは、地震と津波のせいで起きてきた。広大な土地が滅びる一方、別の広大な土地が形成されてきた。これは宗教文学に記録されている。それは私たちがこの前の津波(2004年末)のときに目撃したものよりも、より大きな規模で起きてきた。人々がそれについて知らないのは、当時コミュニケーションの手段が一切なかったためだ。あなたたちは、破壊の規模を計ることができなかった。・・・当時何かが起きた場合、一千年後でさえ、人々は何が起きたのかを本当には知らなかった。一切コミュニケーションの手段がなかったのだ。・・・(2010年マハシヴァラトリ)


質問: 霊的に進化した存在方が、社会によって失礼な扱いをされたり無視されたりするとき、カルマ的な作用は、どのようなものになるのでしょうか?

答え: あなたはその質問を理解しているのか?クリシュナは、アヴァターとしてこの世界に入って来られた。彼が生まれたとき、この世界へ彼を歓迎するのは、人間たちの義務だった。その時の諸王の問題は、彼らが非常に自己本位であったことだ。彼らは、独裁政権を手離したくなかったので、誰かが自分たちよりも上に居て欲しくなかったのだ。彼らのエゴは、誰も、自分たちよりも高いと認めさせなかった。だから、残念なことに当時の王は、世にアヴァターがやって来ることを喜ぶのではなく、不幸に感じたのだ。たとえ彼は、そのようなアヴァターを産む予定の者が自分の実の妹であることを知っていても、それでも、その子供が生まれることに反対だったのだ。クリシュナがやって来て、政権を担うことを、彼らはどうあっても受け入れなかった。そこで王は何をしたか?彼は、自分の妹と義理の弟を幽閉し、その日に産まれたすべての子供を殺した。その日、同時に二人の子供が生まれた。男の子が刑務所の中で生まれ、女の子が近くの村で生まれた。この二人の子供たちが、入れ替わった。このようにして、赤ん坊クリシュナの命は、救われたのだ。そこで、独裁的な暴君つまり当時の王は、クリシュナを止めようという彼の努力にもかかわらず、最終的には、政治支配を失ったのだ。

同じように、イエス・キリストが存命だったとき、ユダが彼(イエス)を指差し、彼(イエス)は罰を受けなければならなかった。ユダはどのようにしたのか?彼はイエスにキスし、彼を裏切った
(下記 「第三のカテゴリー」参照)当時、宗教諸組織の長たちおよび宗教を支配していた者たちはすべて、ユダヤ人だった。彼らに何が起こったか?彼らは、多くの苦しみに遭った。そこで、私たちはこのことから何を学ぶことができるか?聖者たちおよび賢者たちを罰することは、不可能だ。あなたが彼らを罰しようとするとき実際に起こることとは、あなたがあなた自身を破壊することなのだ。主イエス・キリストは、死に打ち勝つことができた。キリストと共に磔にされた者が、他に二人いた。イエスと共に磔にされたその男たちのうちの一人は、イエスにこう尋ねた。「あなたは、死に打ち勝つことができるとおっしゃっています。それが起こるとき、あなたと共に私のための場所はあるでしょうか?」と。イエスは言った。「あなたは確かに私と共にあるだろう」と。もう一人の男は笑い出した。当時、誰かが磔にされるとき、タマリンドの実を舌の近くに刺して留めておくのが、普通だった。これが彼の舌の近くに置かれたとき、イエスは息を引き取った。彼がどうしてそれほど速やかに死ぬことができたかに、皆が驚いた。通常、人は数時間苦しむものだが、イエスは一時間で死んだ。従って、彼は本当に死んだのかどうか疑う人々もいた。確かめるために、彼らは、彼のわき腹を槍で突いた。そのように、彼の死後にさえ、彼らは彼を拷問していたのだ(注 スワミジは、死後解剖された)。彼の脇にいた者は言った。「彼は死んでいない、彼は死に打ち勝ったのだ」と。彼がそう言ったとき、彼の命も終わった。彼らを笑っていたもう一人の男は、二日間、苦しみ、途方もない苦痛と辛苦を体験した。聖者のような人がこの世界にやって来るとき、人々は、彼らを拷問するのを楽しむことができるように思われる。

イエスは死に、現在、45カ国が聖書の教えに従っている。彼の教えは正しかった。それは、正確に記録された。そのような訳で、今日でさえ、彼の教えは生命を持っている。しかし、数多くのキリスト教徒たちは何をしているか?彼らは、クリスマスにイエス・キリストのことを考えるだけだ。あなたたちは、自分たちは強力なキリスト教徒であると思うか?これは冗談ではないのか?あなたたちが持っているのは、どのような類の神への信なのか?

ブッダは、さまざまな宗教グループの会議を開催する準備を整えていた。彼は、自分の教えがどのようなものなのかを彼らに述べたいと思っていた。ブッダは、ブラーミンだった。彼は、王の息子でもあった。彼は、若かったとき、真理を見出したいと思い、密林へ行き、7年間瞑想した。彼は、密林に行ったとき、多くの聖者たちと賢者たちに会った。彼らのうち数多くが、非常に長い間瞑想していたが、しかし、彼らは、それほど進んでいなかった。それから、彼らは死んでいった。7年間の苦闘の後、悟りに達することができたのは、ブッダだけだった。このことはすべて、仏教経典に美しく述べられている。けれども、彼がそのような偉大な人であるにもかかわらず、人間たちは彼を殺したかったのだ。彼が低いカーストの者にローブを与えたため、彼らは、ブッダを殺すために彼に毒を盛った。

同じように、私は、ラーマのような別のアヴァターについて話すことができる。ラーヴァナは、シヴァの偉大なバクタだった。彼は、悪人ではなかった、彼は良い人間だった。彼は、シータを誘拐しても、彼女に触れなかった。彼は、彼女の承諾がある場合を除き彼女に触れる用意がなかったのだ。このような問題すべては、ラーマが密林に送られたために始まった。このような偉大な聖者たちおよび賢者たちが体験するこのような問題、困難、苦悩すべては、彼ら自身のカルマのせいなのか?それとも、彼らにこのようなことが起こらなければならないのは、あなたたちのカルマのせいなのか?実際、アヴァターたちは、カルマに関して何も体験する必要はない。彼らは、人類のために自身を犠牲にするが、人類はそれを理解しているように思われないし、それを感謝してもいない。主イエス・キリストが十字架にかけられたのは、人々が彼のことを知るようになったからだ。それは、ラーマ、クリシュナあるいはブッダに関しても同じだ。彼らの霊的器量は、肉体の変化を体験しても同じままだった。それは変わらなかった。彼らが体験しなければならなかった拷問すべては、彼らの肉体に対してだけだった。この肉体は、父親と母親が結合した結果だ。従って、この肉体の持ち主は、両親だ。人間は、その肉体に対し困難を与えることしかできない。あなたたちは、魂を傷つけることも殺すこともできない。なぜならそれは神によってあなたに与えられこの肉体の内に組み込まれたものだからだ。肉体についてすばらしいことは、それがその魂を同伴していることだ。イエス・キリストが復活したとき、彼はその肉体を蘇らせたのではなかったということを、あなたたちは理解しなくてはならない。復活したのは、彼の神性な様相つまり魂のみだ。肉体は、その内に住まう魂とは異なる。あなたたちは、それを魂と呼ぶことさえできない。それは神性な何かだ。それは一切名もなく形も持たないが、しかしそれでもそれは存在する。一切名もなく形も持たないが、それでも存在するものを、あなたたちがクリシュナあるいはムルガあるいはそれを特定するために与えられている何らかの名前で呼ぶのは、あなたがそれを特定するためだけに過ぎないのだ。

例えば、約50の異なる品種のマンゴーがある。そのそれぞれが異なる味を持っている。酸っぱいものもあれば、甘いものもあり、非常に甘いものもある。しかしあなたたちは、それらをすべてマンゴーと呼ぶ。同様にあなたたちは、クリシュナ、ブッダあるいはイエス・キリスト等と言うかもしれないが、すべては神なのだ。それは、このドラマすべてを貫いている、神なのだ。あなたとその神との関係が存在する。なぜ、あなたたちは、あなたとその神とのその関係を見つけようとしていないのか?このアシュラム居住者は、この女性を自分の母親と識別している。この女性もまた、自分は、このアシュラム居住者の母親であることを認めている。たとえ彼女が自分の肉体の人間の母親を見分けていても、自分の内側にあるものを見分けていない。あなたが自分の内側にあるものを識別し理解することを妨げるものは、嫉妬、エゴ等このような特性すべてだ。このエゴ意識と嫉妬のようなこのような特性すべてが、あなたたちの非常に大きな一部になってしまっているため、あなたたちは、それらを手放すことができない。それは、あなたたちが悪いのだということを意味するのではない。あなたたちは良いのだ。あなたたちはすべて良いのだ。しかし、このような否定的な特性を、あなたたちは同化吸収してしまっている。このような否定的な特性を取り除くことが必要だ。それは、今日明日にできるものではない。あなたは、このような否定的な特性を取り除くことができるよう、時間をかけなくてはならない。

あなたたちは、一日に15分さえ、自分のマインドから否定的な特性を取り除こうと努めることに時間を使わない。代わりにあなたたちは、一日に少なくとも一時間、否定的な特性がさらにいっそうあなたたちを支配するよう時間を与える。普通の人間の混乱を超越している人々が聖者たちおよび賢者たちなのだ。彼らはまた、嫉妬や利己性等の否定的な特性すべてを超えている。彼らは自己本位ではないし、自らの利得を考えない。彼らは、神から得た英知をあなたたちに与えるためだけにやって来ているのだ。彼らには、一切否定的な特性は存在せず、彼らは、彼らの不利になされた何物にも、一切影響を受けない。もしあなたが、このような聖者たちおよび賢者たちのことを考え、あなたのマインドを彼らに結びつけるなら、このような否定的な特性があなたを害することはできないということは確かだ。あなたは、それについて全く心配する必要はない。あなたは、大いに自己信頼を持って生きることができる。だから、この質問に対する答えにおいて、カルマとは肉体に影響を及ぼすものと理解されなければならない。そしてその肉体とは、両親の結合の結果なのだ。それは、神の力と助けを持ってこの地上にやって来ている人々、聖者や賢者に影響を及ぼさない。なぜなら、彼らは、普通の人間が本来持っているそのような否定的な特性一切を持っていないからだ。

ジェイ・プレマ・シャンティ!



参集者の四つのカテゴリー
第三のカテゴリー

それから、第三のカテゴリーだ。このカテゴリーでは、自分のグルを理解せず、グルを見るとき、彼らは彼に対して非常に愛情を感じる。彼らはグルをハグしたがる。私が今刑務所の中にいるのは、帰依者たちが私にキスしたからだ。私が1994年に法廷に行ったとき、検察は帰依者たちが私にキスしたり私をハグしている写真を示した。だから、彼らは私を刑務所に入れたのだ。このような類の写真は、スイスやドイツでは重要でないかもしれないが、しかしタミル・ナドゥでは、彼らはそのために私を刑務所に入れた。タミル・ナドゥの法廷では、年取った人々によってキスされた写真が示されたのではない――そのような写真は、法廷で取り上げられなかった。男性によってされたキスは、法廷で取り上げられなかった。しかし若い少女がやって来て私にキスをした場合、それが法廷において示される。たとえ彼女が私にとっては孫娘のようであっても、それが法廷で示されている類の写真なのだ。彼らは私に尋ねた。「もしスワミ・プレマナンダが霊的な人物なら、なぜ彼はそのような若い少女たちにキスをしたのか?」と。私が彼女たちにキスをしたのか?それとも、帰依者がやって来て私にキスしたのか?私は何を言うことができよう?もし一人の子供が泣きながら私のもとにやって来て私をハグするなら、それは、彼らがバクティ(帰依心)を体験しているからである。しかしながら、それを理解しない人々もいる。私は自分が何も間違ったことをしていないことを知っているので、このようなことについて思い悩んでいない。その若い帰依者のキスは、第三のカテゴリーである。シシャの第三のカテゴリーは、帰依しているそのような人々からなる。