プレマサーダナ2008年12月号
今月スワミジは、人が単に聖地と呼ばれる場所に行き特定の儀式に参加するだけでは、神聖なエネルギーを受容できないことを明かされます。そして、人が大地に降り立った神聖なエネルギーを受容吸収するには、ただ在ること。自らの穢れ―自我拡張欲―を祓い、無我純粋である必要を説かれます。

神聖なエネルギーを吸収するには

寺院には、何千年も前、あらゆる神聖な人々や聖者たちが訪れた。そのような人々が寺院を訪れ、寺院の中に足を置いたのだ。そのように、アシュラムの中であなたたちがどこを歩こうと、あなたたちは神聖なエネルギーを得るだろう。あなたたちはそのエネルギーを受け取ることができる。そのエネルギーを受け取るためには、やり方があり、それを行っている質量があるのだ。あなたたちがそのやり方に従っている(本然の存在の仕方に適っている)場合にのみ、あなたたちは、その神聖なエネルギーを得ることができる。もしあなたたちがそれについて知らないなら、あなたたちはそれを得ることができない。

例えば、私たちは、この土地にニームの木を植えている。私たちはまた、同じ土地にさとうきびも植えている。同時に、私たちは、その同じ土地に良い香りの花々が咲く植物を植えている。もしあなたたちがニームの実を食べるなら、それは苦いだろう。もしさとうきびを食べるなら、それは甘いだろう。もしあなたが花の匂いを嗅ぐなら、それは甘い香りがするだろう。同時に、あなたが唐辛子を採って食べるなら、それは辛いだろう。あなたは、植物から苦味、酸味、辛味、甘味を得るが、しかし、これらすべての味は、植物を通しているとはいえ、どこから来ているのか?あなたたちは、わかるか?

それは、大地から来ているのだ。同様に、この大地から、あなたたちもまた、力を得ることができるのだ。
ニームの木は苦味を知っており、苦味を取り込む。さとうきびは甘味を知っており、土壌から甘味を取り込む。同じように、あなたたちも、この大地から力を取り込まなければならない。(核心である)このことすべてをなおざりにして、あなたたちは、自分の瞑想と悟りのみについて無駄話をしている。あなたたちは、その質量のところへ行かなければならない。その質量とは何か?(指で指し示して)これが質量だ。それはこの土壌の中にあるのだ。あなたたちは、それを自分の手の中に持っていながら、世界中を探している。あなたたちは、聖者アルナギリナータルが瞑想によってのみその力を得たと思うのか? いいや、全く違う。彼はただ在ったのだ。

このプレマナンダ・アシュラムにはそれほど多くの力があるということは百パーセント確かだ。理由は、私たちは数多くのヤガムを行ない、このヤガムの灰はすべてこのアシュラム中に撒かれているからだ。次に、スワミ自身が、十年間、この土地中を隈なく、この土地の中をすべて、どこも歩いたことだ。今あなたたちがその中で眠っている建物は、確かに、私が手ずから一つは石を置いたのだ。建物の中で、私が手ずから石を置いていないものを、あなたたちは見つけることができない。このように、あなたがこのアシュラムの中で何を取り上げようと、もしあなたが木を見て木に手を触れても、木もまた、スワミジによってのみ植えられたのだ。ここにある木々はすべて、スワミジによって植えられたのだ。花の咲く植物でさえ、私だけが植えたのだ。
ここアシュラムの内側では、独自のスタイルに従い、誰一人として、勝手にはどのような植物も植えることができない。アシュラムが始まって13年経った今日でさえ、私が、どの区域にどの植物を植えるべきかを書いている。たとえ彼女がどの区域にどの植物があるかを知らなくても、私は、一つ一つすべての植物がここアシュラムのどこにあるかを知っている。前回私が来たとき、私は一つの区域を見ずに立ち去った。その区域の木々が私に、「あなたがしたことは正しいのですか?あなたは私を見ないで立ち去ったのだから、あなたは私に会いに来るでしょう」というメッセージを送ってきた。
あなたたちは、木と話すことができるか?私は、木と話す。・・・・・もし私が誰かのところに行って、木々は私と話をしていると言うなら、彼らは私の言うことを信じないだろう。本当に、木は私たちと話すのだ。それは正しいか正しくないか?
  ――どのような言語で彼らは話すのですか?(帰依者)

呼ぶのだ。木は、ある言語で話すのではなく、ジェスチャーで示し私たちを呼ぶのだ。もしあなたがその植物を毎日見るが5日間そこに見に行かないなら、そのとき、それは本当に葉を垂らして萎れて見えるだろう。もしあなたが突然それらを見に行って戻ってくるなら、翌日には、それは生き生きとして見えるだろう。あなたたちは、そのことの奥深くに入らなければならない。このようなことすべてのために、どこに、あなたたちの時間があるか?

なぜ私がこのようなことすべてについて話しているかというと、この世界には数多くのことが存在するからだ。あなたたちの中には、猫や犬といったペットを飼っている者たちもいるかもしれないが、それらのペットたちは、少しの人々しか理解できないような、それほどたくさんの感情を持っているのだ。
・・・・・私がこのことで言いたいことは、木々は話しているのであり、植物も話し、犬は話しているのであり、動物も話しているのであり、あなたたちは、彼らが言っていることを理解することができるということなのだ。あなたたちがそれを理解するとき、それはなんと幸福なことか!それは素晴らしい!私はあなたたちを見て幸福でなければならない、ちがうか?

あなたたちは、私を幸福にするために何をするつもりなのか? あなたたちは、あなた自身を完全に知らなければならない。もしあなたがあなた自身を知ったら、そのとき、あなたは腹を立てるだろうか?いいや、全く腹を立てないだろう。あなたたちが得たこの誕生は、非常に幸運な誕生なのだ。この誕生は非常にすばらしい誕生だ。あなたたちは、自分がこれと同じタイプの誕生(化身と共にあること)を再び得て、このように生きるだろうということを信じられるか?あなたたちは、それを信じて今そのように生きることができるか? どうだ?
  ノーです。(帰依者)

もしあなたたちが、ここで生きるであろうものと同じ転生を得られるかと尋ねられて、あなたたちが得られないと言うなら、あなたたちは、この転生においてこそ あなたたちが達成したいと思うものを達成しなければならない。

< 2008年3月、マハシヴァラトリ >
‐この法話はスワミジのタミル語を聴聞参照して起草したものであり、会誌掲載されたものと、差し替えたものである‐