プレマサーダナ 2010年11月号

今回の法話で、スワミジは、霊性の師というものがディヤーナムの師、禅師であることを明かされます。この法話は、‘神聖なエネルギーを吸収するには’と、対をなして与えられたものです。

さて、師と弟子、グルとシシャについて話そう。

あなたは、シシャという言葉にどのような名称も与えることができる。
シシャというのは、イエスが持っていた12人の弟子たちのようなものだ。同様に、ラーマクリシュナの16人の弟子たち、主シヴァの63人のナヤンマル、ヴィシュヌの12人のアルワールたちなどに与えられた名称だ。神以外、すべては偽りだと、18人のシッダたちは神をこのように信じていた。「私はただ在ることを学んだ。もし私がただ在るなら、すべてのことは起こるだろう。ただ在る、それだけだ。」
「ただ在る」それは霊的な言葉だ。
一人の偉大なニャーニであり、偉大なるシッダである人のもとに行き、「スワミ、助言をいただけますか?」と尋ねる。彼らは、あなたたちが現在スワミ・プレマナンダに尋ねるように、尋ねることができるか? いいや。即座に彼は、一言こう言った。「ただ在りなさい」と。それだけだ。それは何を意味するのか? あなたたちは、分かるか?

私は、別のグルについてもう一つ話を知っている。
あなたが彼に会うと、彼は、「出て行け」と一喝するだろう。「出て行け!」と。
彼は、「おお、こっちへ来なさい、いい子だ」と言うスワミ・プレマナンダのようではない。その聖者は、ただ「行け! 出て行け!」と一喝し、あなたを追い出すだろう。あなたが彼に会いに行くと、彼は「なぜお前は私に会いに来た! 出て行け!」とあなたに吼え掛かるだろう。
彼は、そのように続けるだろう。しかし、出て行かない者たちも何人かいる。彼らは、少し離れた場所に座っている。
「私は出て行けと言っただろう、お前たちには頭がないのか、なぜまだそこに居るんだ? 出て行け!」
そこで、彼らはもう少し後ろの方に行って、そこに座る。
「出て行け」という最初の言葉で出て行く者たちもいる。二度目に言われたとき、出て行く者たちもいる。他の一人は、そのマッドな男からもう少し離れた場所に座る。
彼はそうやって一喝し、すべての人を追い出した。そして誰もいなくなった。霊性を教えることは、なんと容易いのか! ダルマサラはいらない、料理も必要ない、お茶も必要ない、通訳もいらない、マネージメントもいらない、手紙のやりとりもいらない、ユース・グループもいらない、コーディネーターもいらない。それは、なんと素晴らしく、美しいアイディアなのか!

さて、聖者はそこに座っている。
少しして、彼は立ち上がり、外に歩いていく。彼は、(外で座って待っていた)男を見ると、厳しい調子で「ここに来い」と言う。男は彼の方へ行く。彼は「そこに座れ」と言う。
「なぜ、お前はここに来たのか?」
「スワミ、私は、あなたに会うためにここに来ました。」
「お前は自分自身を見ろ。なぜ私に会いに来たのか? お前自身を見ろ、それから私に会いに来い。出て行け!」
「お前はお前自身を見る時間がない。それなのに私に会いに来た。」
彼との会話は、それだけだ。それから、男は出て行く。そして男は、なぜ「まず自分自身を見ろ、それから私に会いに来い」と言われたのかを考えている。あなたたちは、それがどんなことなのか分かるか? もしあなたたちがそれを分からないなら、あなたたちはグルの意味が分からない。

最初のグルは、ただ在りなさいと言った。
スワミ・プレマナンダは、それには意味があると言う。
二番目のグルは、「まず、お前自身を見なさい、それから私に会いに来なさい」と言った。
もし私があなたたちにそう言うなら、あなたたちは部屋に行って、自分の顔を鏡で見て、私のところに戻ってくる。あなたたちは、「私は自分自身を見てきました」と言う。今日私がシシャにそう言うなら、彼は自分の顔に何かついているのかと考え、部屋に行って鏡を見て、私のところに戻って来て「いいえ、スワミ、何も付いてません」と言うだろう。鏡を見て、大きな丸いイヤリングをつけて戻って来て、「スワミ、さあOKでしょう? 似合いますか?」と言う者たちもいるだろう。私はそのまま受け止めて唯「イエス」と言う。それが、そのグルだったら、彼はあなたの歯が全部抜けるほどにあなたに平手打ちを喰わしただろう。「お前は、お前自身を見なくてはならない」、と彼が言ったのは、自分自身の内面を見て、自分自身の内面を浄化しなさい、という意味だったのだ。あなたは、エゴ、嫉妬、プライドを取り除かなくてはならないし、内側にあるものすべてを浄化放擲しなければならない。それを、彼は一言で説いたのだ。もう一人のグルは、「ただ在りなさい」と言った。あなたたちは、それがどういう意味だか分かるか? このマインドは、常に走り回っている。マインドは、この世界の中を走り回っている。そこで彼は、マインドはただ在るよう(余念なく此処に常在するよう)言ったのだ。これが、グルとシシャというものなのだ。

ここに、これを好む者はいるか?(現在の参集者達を前に)私はそのように話すことができるか?
ジェイ・プレマ・シャンティ
スワミ・プレマナンダ

< 2008年3月、マハシヴァラトリ >
‐スワミジからこの法話を引出した禅者は、この法話の直前に、アシュラムを後にした‐