アシュラム・ニュース
2005年9月号
(アシュラム側に、含むところあってメール配信されてこなかったニュース。――前後する他の号は配信されてきていた。)
【記事】
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[クットララムとケララのユース小旅行]
[8月11日、若者たち全員が、クットララムとケララへの5日間の旅行に出かけました。最初、自然の中で美しい二日間を過ごしました。涼しくすがすがしい五滝のもとで沐浴し、クットララムにある古くからの寺院を訪れました。それから、ケララの数多くの場所を旅行し見て回りました。このユース会議と旅行についてさらに読みたい場合は、ユースのホームページをご覧ください。](現在は削除されている)
クットララムのティルマライ・ムルガ寺院でバジャンを歌う
プレマナンダ・ユース(ここの寺院僧はAOの知人)
クットララムからほど近いケララ州のダムで集合写真を撮る
プレマナンダ・ユース国際グループ
2005年7月、スワミ・プレマナンダを紹介する日本公式サイトが始まり、この記事は、その年アシュラムから会員に向けてメール配信されてこなかった唯一のアシュラム・ニュースである。当時、会誌プレマ・アナンダ・ヴァヒニ(英語)は会員の手元に届くまで、半年もしくは一年以上掛かり、数か月分がまとめて郵送されてきていた。したがって、このニュースが会誌で日本公式サイト管理者の手元に届くまで、半年以上かかっている。
このニュース記事の出来事以降、AOの影響下に入ったアシュラムから配信されてきたプレマサーダナは、AOが関与するアーユルヴェーダを連想させる「霊的かつ健康的な生活」、「祈りについて」などという、スワミジの言葉を恣意的に抜粋且つ改変したものとなっていったのである。
同時にまた、会誌プレマ・アナンダ・ヴァヒニは、一気にヒンドゥー色を強めていくこととなった。スワミジは、神聖な教えに含まれる英知故に、すべての宗教およびすべての道への敬意を説く。しかし、2005年11月号にアッシジの聖フランチェスコ(この聖人の聖地はAO主催旅行の定番訪問地)が取り上げられたのを最後に、「神は一つ、道は数多い」というさまざまな宗教および道の教えを紹介する連載記事は姿を消す。AOは、影響下にある会誌のヒンドゥー色を強めていくことによって、帰依者を使い、自分に有利な状況を世界的に作り出そうとしていた。つまり、AOは、会誌を通してヒンドゥー宗教カーストの“種”を埋込み、自らはヴェーダの教師・ブラーミンであるという支配想念を帰依者たちの想念の中に造り出し、遠隔で操作をしながら、スワミジの帰依者たちを自分の影響下に置くことができる状況を作り出そうとしていたのである。
『“私利追求を隠した第三者”が、どうして霊性を学ぶあなたたちを善き人間へと変えることができよう? 一体になぜ、“私利追求を隠した第三者(AO)”が、霊性を学ぶあなたたちに助言を与えるのか?』(2007年11月)
上記のように、当初から、緘口令を敷いて自らの行っていることを日本の公式な活動者たちには知られないよう背後で手配しながら、AOは、自分はかつてブラーミンであり、今ヴェーダを教えているのだと言って、多額の資産を寄付していることからスワミジの帰依者たちの中で一目置かれているブラーミンの男に近づき、会誌プレマ・アナンダ・ヴァヒニの編集に関与し、自分の意向を会誌に反映させるようにしたのである。(AOに追随していたG会は、AOに倣い、このブラーミンの男に近づいた。この男は、スリランカにおけるG会展覧会でスピーチを行なっている。)
ところが、後に、AOが連絡を取っていたインド・スリランカの帰依者たちとは、別のルート、ヨーロッパの帰依者経由で、スワミジが日本のコンタクトパーソンを任命したことを知り、今度は、ヨーロッパの帰依者間に自分の影響力を拡大しなければならない事態にAOは直面した。そこで、AOは、自分もかつてミーナクシ寺院に深い縁があったのだと言って、スワミジが物質化したミーナクシ寺院の神像をインドラ・デヴィから譲り受けたヨーロッパ人男性のその娘に連絡を取ったのである。
『近頃では、人々は策を弄し私利を図る。これらの駆け引きのために、彼ら(AO、ブラーミンの男、G会・・)は宗教やカーストのような問題を中心に置き、この策略的なドラマを作り出す。あなたたちは、このドラマが霊性だと信じるべきではないのだ。』(2007年11月)
AOは、スリランカ・インドの帰依者たちに対しては自分がヒンドゥーのブラーミンであったという要素を、ヨーロッパの帰依者たちに対しては自分はカトリック教徒且つヒンドゥー教徒であるという要素を徹底的に使って策略をめぐらしていたため、スワミジは、上記の言葉をおっしゃった。
このようにして、AOは、ヨーロッパ、スリランカ、インドのスワミ・プレマナンダ帰依者を自らの影響下に置き、帰依者たちのスワミジへの注目を外し、その注目を自分に向けるように手配していったのである。これは、かつて日本のサイババ活動においても行なわれた、AOの常套手段である。
設定した政治舞台上に自らの認識するすべてを載せて利用対象・障害物を想定し定め、その政治運動の中で人々の注目を自分に集め、その上に権威者としてのり
安泰を図る、というのが幾生涯を懸けたAOの政治であり、これをAOは行ったのである。
AOが東西に渡る聖者関連の日本での最高権威となるには、来日を控えたスワミ・プレマナンダを押えておく必要があり、スワミジに任命された日本のコンタクトパーソンがどうしても邪魔であった。スワミジに任命された者は、自ら辞任を申し出ない限り、誰も辞めさせることはできない規則になっている。そのため、AOは、スワミジ帰依者を利用しながら日本のコンタクトパーソンを排除しようとし、自らの欲望を叶えようと、大掛かりなプージャやアビシェカムを幾度も行なった。神への無私の帰依心からではなく、自らの欲望から行なわれたプージャは、
呪術となり、自らの願いの実行部隊として、日本のコンタクトパーソンを有害だと吹聴し殺そうとまでしたG会の者たちを、自らのもとに大勢引き寄せていった。
『私は先ほども言ったが、これ(アビシェカム)は遊びではない、それは非常に重大な事柄なのだ。あなたは、文字通り神聖なエネルギーを操作しているのであり、そのようなものとして、あなたは、これを非常に真剣に受け止めなくてはならない。そのような儀式を注意と嘘偽りのない誠意を持たずに行なうことは、良くない。これは、逆効果を持ち得る。私心を滅する決意があなたに無ければ、神に連なる決意があなたに無ければ、それは逆の作用を持ち来たす。』(2000年3月)
2005年秋、後の日本のコンタクトパーソンがスワミジにお会いしたとき、スワミジは、『あなたたちをここに連れてきたのは、神だ。だから、私は、(あなたたちの師であるかという問いに対して)イエスと言う。あなたたちがやっていることは、(人々の世界を維持し発展させる為に、霊性の灯火を掲げる使命を持つ)アシュラムと同じだ』と、おっしゃった。
『私を、あなたたちの師に任命したのは、ダルマの神聖な力なのだ。(2005年11月)』
AOは、G会の者たちおよび自分の周りに集まってきた女たち、自分が連絡をつけて取り込んだスワミジ帰依者のブラーミンの男とヨーロッパ人の女を使い、スワミジの帰依者たちの間に、日本のコンタクトパーソンは有害であるとゴシップを流した。しかし、スワミジは、日本のコンタクトパーソンを賞賛していたため、ゴシップを信じた帰依者たちがスワミジに大反対する結果を招いた。
『何が、あなたたちに師への信を失わせるのか? あなたたちは、うわさ話に耳を傾けたため、師への信を失ってしまうのだ。』(2009年8月)
ダルマの神聖な意志に全力で反対し、大掛かりなプージャを行ってまで願ってきた「日本のコンタクトパーソンを排除したい」というAOの願望は、2010年のマハシヴァラトリの騒ぎとなって現象化し、日本のコンタクトパーソンはスワミジの守りによりあやうく殺害をまぬがれ、日本のコンタクトパーソンを導いてきたスワミジも殺害されるところであった。その後、AOの利己的欲望から出た願いは、最終的に、G会によるスワミジの殺害となって現象界において物質化された。
『すべてのことには、一連の反作用がある。(2008年マハシヴァラトリ)』
その反作用として、日本の大地震が起きたのである。