『何一つ、あなたたちによってなされることはない。すべては彼≠フ行為だ。神の行為だ。神があなたたちを行動させているなら、そのとき、どのようにしてあなたたちはそれを止めることができよう? ・・・あなたたちは、あなたたちをここアシュラムに送られている神の目的を理解しているか? あなたたちが理解できる一つのことは、すべてのことは神の御心だということだ。このパーダ・プージャ(聖足拝礼)は長い間を経て今日起こっている。 ・・・1994年11月17日にパーダ・プージャが行なわれ、今2010年2月15日に、それが再び起こっている。私は既に朝のパーダ・プージャをキャンセルし、この午後のそれをキャンセルしようとしたが、このアシュラム居住者がそれを今日すべきだと非常に切望した。 ・・・
今、ここには、コーディネーター全員がいる・・・あなたたちの行動すべてとあなたたちが行なうすべてのことは、神に知られている。あなたたちは、あなたたちの国で何を行なうつもりなのか? あなたたちは、そこで何か良いことを行なうつもりなのか? あなたたちは、何を行なうつもりなのか? あなたたちは、このことすべてをシヴァラトリの夢だと思うつもりなのか? それとも、それを引き続き行うつもりなのか? 』
タミル語で、何かがあなたの頭に書かれていると言うのは、一定の物事を体験することが、この生涯におけるあなたのカルマなのだということを意味する。他の諸文化では、あなたの掌に書かれていると言う。それは、一定の物事があなたの宿命・運命であり、それは避けることができないものだということを意味する。内在する真正の師すなわち神の恩寵のみが、その諸結果を小さくするのを助けることができる、あるいはあなたについて書かれていることを変えることができる。』
『あなたたちは師を通して神の恩寵を得ることができるが、それに値するのか? 私があなたたちに祝福を与えるとき、あなたたちは、祝福を両手から即座にすべり落としてはいけない。あなたたちが手を伸ばすとき、私はその恩寵がしっかり留まっているか、滑り落ちるかを知っている。大抵は、恩寵を滑り落としている。スリランカ出身の私のタミル人帰依者たちは、少しも留まらないようなやり方で、両手を斜めにしている。彼らは、自分たちの問題を話しては去る。彼らは、祝福を得(たと思っ)ては去る! 私の外国人帰依者たちは、その両手を、在るべき様には、差し出さない。両手をもう少しカーブさせ、つまり
――師の教え、師の言葉、ダルシャンという外形に内包される
恵み≠拝受する姿勢をあなたは鮮明にし、恩寵祝福(というエネルギー)を自分の中に保持するようにしなさい!
謙りと耐忍びを、培いなさい! (―― あなたを通して実現しようとしている形象<Jルマを内在の師が変容することができるように。――)』
― 1994年以前 ―
実現する言葉
『ある日、私の言葉は本当に実現するだろう。』
― 2004年4月25日 ―
『あなたたちが朝から晩まで信用して話すさまざまなうわさ話が、後に、あなたたちに悪影響を及ぼすだろうということなど、まったく思いもしない。
―――もしあなたたちがうわさ話をしゃべり続けるなら、あなたたちはうわさ話の虜になって、道を見失うだろう。』
― 2004年1月 ―
『何が、あなたたちに師への信を失わせるのか? あなたたちは、うわさ話に耳を傾けたとき、師への信を失うのだ。』
― 2009年8月 ―
『私は、私がそのために来た(霊性を教える)仕事を行っている。
――― だがあなたたちがそれを好まないなら、そのとき私は、刑務所の中にいるだろう。
――― (世間・カーストを盲追する)アシュラムでは、私の教えは、有効に働かないだろう。なぜなら、あなたたちは私の説く教えを受け入れず、反発して私を放り出すだろうからだ。』
― 2008年7月 ―
『私が刑務所の中にいなければならないという事実は、既に書かれていた。』
― 2010年マハシヴァラトリ ―
神人殺害
『世間の人々は、イエス・キリストを全く理解しなかった。彼らは、彼の神聖な諸力を認識せず、彼の教えを理解しなかった。彼らは彼の教えに従わず、最終的に彼を殺すことしかしなかった。普通の人々が彼に対しこれを行なったのだ。そのような普通の人々の中には、あたかも自分たちが霊性に関わっているかのような振りをする人々もいた。神人殺害を行なったのは、そのような人々だ。』
― 2007年8月7日 ―
『ブッダは、ダルマ、つまりサナタナ・ダルマの生き方を説いた。生涯の終わりを前にしてブッダは毒を盛られたが、しかし彼はそれが起こることを知っていた。彼は、彼が与えている真の教えを受け入れない人々が彼を毒殺するだろうと予期していた。』
― 2008年7月 ―
『あなたたちは、自分自身を成熟させず、依然として偽りの中にある。あなたたちは、自分自身を欺いている。あなたたちは、「霊性、霊性!」と言い、自分たちの上に霊性の毛布をかぶせている。あなたたちのマインドの中にも、ハートの中にも、想念の中にも、霊性は全く存在しない。』
― 2009年マハシヴァラトリ ―
裂開の剣
『あなたたちが霊的人生に関心をもつなら、そのとき、私はあなたたちがその人生において幸福を持てるよう祝福するだろう。・・・ しかし、もしあなたたちが神を理解せず、神のハートと共感しないなら、そのとき、あなたたちは、神から離れるままに堕ちて行くだろう。』
― 2009年11月 ―
神聖な愛を理解しない人々
『自分の個人的な欲望を実現するために、ハートの内にさまざまな利己的な期待を隠して、非常に甘い愛情を装った言葉で話し、真の神聖な愛を示す振りをし、他者を欺く人々が数多く存在する。他の人々を騙して(旅行のようなその時だけの)束の間の楽しみに耽らせ、さまざまな期待の中に人を留めておくといったことを含む、このような利己的な誘惑は、(神の)神聖な愛の純粋さを消し去る役目しかしない。あなたたちは、日々の実際の生活の中で、策謀する人々の利己的な誘惑が(神の)純粋で神聖な愛を汚すのを放置し続けている。
マザーの純粋な愛を理解したか? あなたたちが自己規律を持てるようスワミジが怒って訓練したとき、師の愛を理解したか? 法友である兄弟の
一人があなたたちの誤りを正そうとしたとき、その愛を理解したか? もし、あなたたちが真の愛とは他者からのハートを溶ろけさせる甘い言葉を意味するのだと考えるなら、あなたたちはいったい、神聖な愛の本質を理解することができるのか? 』
― 2008年2月 ―
『もし、あなたたちが真の愛を理解しないなら、あなたたちはただ無情で愛のない肉体となるだろう。』
― 2004年3月 ―
『例えば、シヴァティ
(スワミ・カマラナンダの娘)はシュバカに生まれ、マタレに来て、それから(スワミと共に)インドに来、しばらく勉強し、それから彼女はアシュラム及びトラストをゆっくりと乗っ取りつつある。・・・
では、今あなたたちと一緒に瞑想しているのは誰か? 例えば、あなたたちは自分たちと一緒にいるのが誰だか知っている、これはニティヤ・マタジ、これはニルマラ・マタジ、これはイサベラ、ドリアン、ガンガだと。しかし私は、そのようには見ていない。(一人一人の内面のありのままを見て)私はこう考えるだろう。これはゾウだ、これはサルだ、これはロバだ、これは馬だ、これはトラだ、これはライオンだと。コブラである者も居る。私にとっては、あなたたちはこのようにしか見えない。なぜ、私はこのことを言っているのか? もしあなたたちが私に、ここに誰か人間はいるのかと尋ね、私が人間を見るなら、そのとき初めて、あなたたちは「ああ、これが人間なのか」とわかる。例えば、誰かがこの部屋に入ってくると、ああ、これはマングースが入ってきたなと私は思う。私は、マングースがどのようであるのか知っている。また、ある者はサルのようだ。なぜなら、彼(女)らは常に不正行為(モンキー・トリックス)を行うからだ。なぜなら、彼(女)らはサルのようにうろつきまわり、しばらくの間一箇所に座っていることさえできないからだ。私は、そのような者に「ハロー、モンキー」と言う。それで私は、シヴァティに「ハロー、ご機嫌いかが」と言う。私はこれを冗談で言っているのではない、これは、真面目な話だ。あなたたちが自分たちは人間だと言うなら、より高位の諸特質、より高位の良い振る舞いを持つべきなのだ。あなたたちは皆、六つの感覚を持っている。動物たちは、五つの感覚しか持ってない。だから、あなたたちは、動物のように振舞うべきではない。だから、あなたたちは瞑想を始めるとき、瞑想を行うことによって、あなた自身をサルから人間に変えようと努めているのだ。それが、あなたたちの行っていることだ。瞑想の状態によると、あなたたちは、依然として人間それ自体の状態に至っていない。・・・ シヴァティが「ガウリは私を傷つけている。仕返しで私もまた彼女を傷つけるべきだ」と言うなら、彼女はサルから(ガウリの様な)ロバになりたがっているのだ。(シヴァティに向かって)あなたが不正行為(モンキー・トリックス)をし続けながら、自分は人間になろうと努めていると主張するなら、ではなぜ、あなたはロバのように振舞うのか? ・・・ (このように)アシュラム・オフィスにいる人々がしていることは、誰か自分より、良く発達し、より高位の状態に行っている者がいれば、その人間を引きずりおろそうとすることだ。なぜか? これは、人間としての特質なのか? ・・・ まず第一に、あなたたちは、あなたたち自身の諸特質(動物性)を、人間としての諸特質に変えなければならない。その後で初めて、あなたたちは瞑想について考えるべきなのだ。』
― 2010年12月 ―
動物と化した帰依者達と、邪悪な外来者達
『私があなたたちに何を言おうとも、それはあなたたちが自分の人生において至福を体験するためなのだ。しかるに、あなたたちは私を理解せず、仕返しを考える。』
― 2004年4月25日 ―
『あなたたちが良くない諸想念を持つとき、あなたたちはまた、良くない人々をあなたたちのもとへ引き寄せる。そのような人々は、あなたたちに良い友情を捨てさせ、あなたたちに影響を及ぼし、良い人々をあなたたちにとって有害であると信じさせるかもしれない。あなたたちが邪悪なマインドを持つ人々と一緒に時間を過ごすとき、そのような邪悪なマインドを持つ人々は、まったく神性を理解せず行動しているため、あなたたちもまた、悪い物事に加担するかもしれない。』
― 2010年 ―
『私は、アシュラムで起きていることすべてを知っている。誰一人、いかなる害も引き起こさないだろう。私は、何もアシュラムでは起こらないようにするだろう。』
― 2009年 ―
2008年マハシヴァラトリ時には、大聖に賞賛されるヨーロッパからの姉妹帰依者が嫉妬の対象になっていた。翌2009年マハシヴァラトリに、彼女たちおよびヨーロッパからの男性計3名に危害を加えようとする動きが、アシュラムに潜入していた者達の働き掛けで起こった。2009年春、姉妹の一人―――数年間アシュラムでセヴァをしていた女性が帰国する際、大聖は、「あなたが自国に帰っても、私は何としてもあなたの命を守るだろう」とおっしゃった。また、2010年のマハシヴァラトリに、大聖は「去年彼女たち姉妹は、トラブルに遭って本当に大変だったのだ。彼女たちは、本当に危なかったのだ。彼もトラブルに遭って大変だったのだ」とおっしゃった。以上から、2009年マハシヴァラトリでは、スワミジに会う経路の類似から日本のコンタクトパーソンの活動に理解を示していた姉妹帰依者たちの命が狙われていたことがわかる。彼女たちは、2010年のマハシヴァラトリには来なかった。
2010年マハシヴァラトリには、日本のコンタクトパーソンを殺害するという企てが背後にあったが、大聖はインド警察をアシュラムに連れてこられてその動きを封じ、さらにまた、朝の3時半までという異例の長時間の個人インタヴューを与えられることによって、帰依者を装ったG会工作員夫婦を長時間プージャホールに留め置かれ、日本のコンタクトパーソンに更なる危害を加えることを阻止された。連中がアシュラムを去るやいなや、個人インタヴューは通常の長さに戻った。
2010年アシュラムでのマハシヴァラトリの騒動に紛れて、大聖を暗殺しようという計画があったが、大聖はそれを回避され、定められていた2011年、アシュラムの外で毒殺された。