大聖と後継者、英国人聖母


第十三章 大聖の計画 ―西洋のアシュラム―


私は、一つ確かに知っている。何をしようと、私は理由なくそれをすることはない。私が言う一つ一つすべてに理由が存在する。―― すべてを行う力が私の内側に存在する。私は、不変の神聖なエネルギーをここ地上に確立する計画を立て、それを行うことに私のすべての時間を費やしている。  ― 2009年マハシヴァラトリ ―

私は、私の計画から手を引いたのではない、私は依然としてそれを行っている。私は、計画したことを必ず行う。私は、サマーディに入る前に私の計画すべてを成し遂げるだろう。私には、この地上を去らなければならない時がある。去る前に、私は、何であろうとすべきことを行い、すべてのことを終えるだろう。  ― 2010年12月 ―


外国人アシュラム・プレジデント
『次のシヴァラトリに、私は、(聖母ディヴィアに次ぐ)もう一人のアシュラム統括指揮者(プレジデント)を決めるつもりであり、それをあなたたち全員に知らせるつもりだ。それは外国人だろう。私は、彼女を小さいときから知っている。私はまた、彼女にローブを取らせるつもりだ。私は、私のプレマナンダ・アシュラム・マネージメント(指揮差配)を彼女のみに与えるつもりだ。昨日の夜、私は、そのメッセージを受け取ったばかりだ。あなたたちは、それが誰だかわかるだろうが、それは次のプレマ・アナンダ・ヴァヒニ誌に掲載されるだろう。シヴァティではないし、ガウリではないし、アニタでもない、タミル人ではない。完全に外国人だ。彼女は、タミル語が話せない。今日、私はまた、彼女にタミル語を学ぶよう言うつもりだ。だから、あなたたちは、私が以上告げたことで、(私のサマーディ後の、)今後のアシュラムの事の次第をあなたたちに託したことをよく理解しなければならない。その少女は決して結婚しないだろう。』― 2010年2月 ―

しかし、このことが会誌に掲載されることはなかった。そして、次のマハシヴァラトリ前に、大聖は暗殺されたのである。

その女性は、帰依者たちの間で、よく知られている。
彼女は、イギリス、マンチェスターで父親がカトリック教徒である家庭に生まれ、小さい頃に大聖からリンガムを託され、霊性に関心を持っていた。イギリスは、スリランカ、インド以外で唯一リンゴドバーヴァが行なわれた地である。
大聖の前生涯とされるスワミ・ヴィヴェーカーナンダの一番弟子であり、インド女性の教育と自立に心血を注いだシスター・ニヴェディタは、アイルランドのメソジスト派プロテスタントの牧師家庭に生まれ、ロンドンで学校を開き、教えていた。トマス・ア・ケンピスの祈りを好んでいた。

『私は、マンチェスターの若い少女にリンガムを与えている。彼女は、霊的な諸力を持っていると認められており、そのリンガムに対して毎日アビシェカムを行なっている。彼女の家族は、数多くの人々に大きな霊的奉仕を行なっており、そのリンガムの振動は、数多くの魂たちに恩恵を与えている。』


聖母となる幼き彼女の質問と大聖の助言
私は、両親の礼拝室で長い間座っていることができません。どこかへ行って遊んだり他のことをしたくなります。

『あなたはまだ非常に幼いし、良い少女だ。あなたは、長い間礼拝室で座っている必要はない。あなたの親切なハートがあなたの礼拝室なのだということを覚えておきなさい。神は、あなたのハートの中にいるのだということを覚えておくこと、それが重要だ。

あなたは私に、ガネーシャと幼子イエスが好きだと言った。だから、ガネーシャと幼子イエスがあなたのハートの中で遊んでいるのだといつも考えなさい。あなたがいつも良い考えを持つなら、あなたは、彼らを非常に幸福にすることができる。あなたの良い親切な考えは、あなたが捧げることができる花のようなものなのだ。他の人々に対していつも親切であり、良いことを行ないなさい。お母さんとお父さんとあなたの友達を助けようと努めなさい。あなたが他の人々のために良いことを行なうなら、ガネーシャは、本当に喜ぶだろう。いつも親切に話し、皆に愛を示しなさい。そうすると、幼子イエスが、あなたのハートの中でいつも笑い微笑んでいるだろう。』

神は私の中にいるのですか、それとも私の外にいるのですか?

(スワミジは笑って)
『これは美しい質問だ。神はどこにでもいる。すべてのものの中に、すべての人々の中に、動物たちの中に、植物の中に。たとえ神がどこにでもいるのだとしても、神はあなたのハートの中にいると考えることがあなたにとって非常に良いのだ。もしあなたがそのように考えるなら、あなたは、神がどこにでもいることをゆっくりと理解し認識するようになるだろう。あなたは、目を閉じて座る必要はない。あなたは、日々の仕事を行なっている間、ハートの中に神を持ち続けることができる。』― 1998年11月25日 ―


『若者たちが何かを学びたがり、真理を認識したがるとき、大人たちは一般的にそれを好まない。大人たちは、常に若者たちにこう言う。「あなたたちは何も分かっていない、まだ若い」と。ここにいる、この小さな少女をごらん。この子が霊性を実践したがり、彼女の母親が常に彼女に、「それをやってはいけない」と言うなら、彼女はどうなるか? 彼女は駄目になってしまうだろう。彼女がこの幼い年で霊的な物事に関心を持つなら、それはすばらしい。子供たちが非常に関心を持つとき、母親は、子供たちが望むことをさせ、彼ら自身のやり方に従わせなくてはならない。彼女がその年齢で霊性を実践し、世俗的な物事や物質的な快楽に関わらないなら、25歳頃には、彼女は悟りに達するだろう。彼女は女性であるが、それは問題ではない。彼女は、悟りを得ることができ、教えることができるのだ! 』 ― 1999年12月15日 ―


大聖、聖母ディヴィアに次ぐ、もう一人の聖母
自称アシュラム・マネージメントは、大聖の意向と指名した人物を完全に無視しており、さらに実質G会が乗っ取っていることから、彼女がインド・アシュラムのプレジデント(統括指揮者)になることは危険でさえある。
しかしここで、大聖は実に、アシュラムを体現する女性弟子を英国に生れさせた事から必然するように、弟子を通して西洋に働き掛ける計画を持っていたのである! 西洋にて、大聖のもう一人の霊的後継者である彼女は、働くことができる。また、インドで大聖から修道場管理の訓練を受け、現在は帰国している若い西洋人女性たちが複数いる。彼女たちは、その西洋修道場ですぐに働くことができるだろう。かくして大聖は、サマーディに入られる前に、計画なさったことをすべて成し遂げていかれたのである。
「だから、あなたたちは、今後のアシュラムの事の次第を私があなたたちに託したことをよく理解しなければならない。」
つまり、大聖は、すぐに実現可能な形で大聖とその後継者のアシュラムを帰依者たち(特に西洋の帰依者たち)に託しているのであり、道〈イニシェーション〉を求めそのアシュラム後継者の下に集うか否かの各自の自覚に基づく決定は、あなたたち次第≠ネのだ、ということなのである。
人であれ、場所であれ、その人・場所を通して霊性が伝播してゆくところ、
それをアシュラム、修道場という。イエスは、歩くアシュラムであった。
大聖ヴィヴェーカーナンダはアヴァターの聖性のエネルギーと共に、
シカゴに足跡を残し、それが為シカゴは聖性の止まる地となり、
大聖の次回下生地となったのである。
神聖な場所も、人として化身した存在がその聖足を以て踏みしめることにより、
聖性のエネルギーは充填されるのであり、修行者複数によって永きに亘り
同化吸収されてエネルギーの枯渇した地には、必要に応じ、
再度大聖が赴いてエネルギーを充填されるのである。
人は五つの惑星イニシェーション〈進化を画す巨大エネルギーの充填〉を通して、
担当する惑星質量を聖化し、 この地球に下生した目的を成就してゆく。
人が全体として聖一者の変容を遂げた暁に、地球は聖惑星へと変容する。
この地球を聖惑星へと変容すべく、人は下生を繰返しているのである。
電気的な宇宙の火≠ナある太陽エネルギーの、その存在面をシヴァ、その活動面をシャクティという。
神は焼き尽くす火∞万物は火によって再生される
こうして、人々の内なる否定性を大聖は自らの内に集注させ、
電気的な%烽ネる火によって焼き尽くし=A否定性を肯定性へと変容し、
その内なる肯定性のエネルギーは宇宙の火≠ニ相俟って、シヴァリンガム≠ニなって出現するのである。
したがってシヴァリンガムは、今も、その変換過程を行い、大聖の一部として生命をもっているのである。
その変換過程は、世界の否定性をそれと等しい肯定性のエネルギーに変換しているということなのである。

道に入る
『この世界にいる予定の短い期間に、私は、あなたたちに悟りをもたらそう――光を与えようと、最善を尽くしている。私の死後でも、2,500年間、私は人々を助けるだろう。しかしながら、私が生きていて、あなたたちが生きているときに、あなたたちがイニシェーションを受け、霊性の道において急速に発達することが私の望みなのだ。』 ― 1999年11月24日 ―

大聖の内に働く力(シャクティ)‐ 聖母ディヴィア述 ‐
『私にとって、スワミジはアマン、つまり聖なる母と同じなのです。私が心の中で、私の諸問題を聖なる母に委ねようと、スワミジに委ねようと、同じです。これらの問題は必ず解決されるという私自身の体験から、私はすべての帰依者たちに、スワミジあるいは聖なる母に問題を明け渡すよう勧めます。スワミジは、御自身が純粋なシャクティ〈宇宙の母〉なのです。師は、創造の力を用いて遊んでいらっしゃいます。師は、人生の真の目標と幸福から私たちを逸らさせる、私たちのカルマとヴァーサナ(諸傾向)すべてを破壊することのできる霊的力を持っています。』― 1994年 ―

禅譲‐ エネルギーを託す ‐
『アシュラム・プレジデントの聖母ディヴィアだけが、非常に高度なイニシェーションを受けている。1994年1月10日、彼女はスリ・プレマナンダ・アシュラムのイライヤ・グル・ピータムに指名された。これは、彼女が、私に直結した霊的後継者であることを意味する。私のサマーディの後、彼女は、このアシュラムを代表するだろう。そして、彼女は、そのとき自身の後継者を指名するだろう。このようにして、私の身体を通して働いている霊的エネルギー〈シャクティ〉は、(物質界上の場所ではなく)弟子から弟子へと移り伝えられ、来たる長い間ずっと続くだろう。』― 1994年マハシヴァラトリ ―

二人の聖母‐ シャクティを受継ぐ者 ‐
『アヴァターと共に現れる者は、解放された魂か、最後の誕生に入っている者かのどちらかであると言われている。』― 1987年7月10日 ―

ミッション
『私は、このアシュラムを女性聖者たちに指揮差配してほしかったのだ。・・・ 私は、若かった頃でさえ、私のミッションにおいて主要な役割を果たすであろう神聖な女性〈聖母ディヴィア〉が 私の母国スリランカに誕生したことを知っていた。』― 1992年 ―

聖母ディヴィアは1994年の英国他諸外地歴訪以来、特殊状況下の印度現地には戻られていないので、
2010年、後継者であるもう一人の聖母を スワミジは発表された。
2011年以降、直系の働きは聖母を通して行われている。
ここでは 聖母その人こそ アシュラムなのである。


法灯は 二千五百年間地球に灯される
『ある日、その電球はヒューズが飛ぶだろう‐師は肉体を離脱するだろう‐。その瞬間、スリ・プレマナンダ・アシュラムも暗くなるだろう。そして即座に、アシュラムの帰依者たちは影響を受けるだろう。その後、彼らは、光を別の場所で探すだろう。彼らは、光に引き付けられる飛ぶ虫のようだ。このことについて考えたとき、私は、二千五百年間地球に継続的に光を灯そうと決めた。私はそれを行うやり方‐人類の魂を包摂するやり方‐を心得ている。私はそうしようと考えた。それが、今私が下した決断だ。私は、ランプを灯すのに必要な光を持っており、その光を灯すための電気を持っている。しかし、どこで、私はその光を灯すべきなのか? ―――あなたがもし、神聖なエネルギーに、自分の内に入って来て欲しいなら、あなたは、そのための場所≠ハートの内に造らなければならない。―――〈聖母へと引継ぐ〉法灯の継承はサマーディの前に実現するだろう。』― 2008年12月 ―

大聖の光は生前、弟子である二人の聖母に継承され、さらに聖母から次の方へと継承され、そのようにして次の二千五百年間光は途切れることなく続く。同時に、師の選んだ一人一人の魂を師は包摂して、その一人一人のハートを通して、師のシャクティは世界に放射される。

『来年(2011年)、私はモウナムに入るだろう。私が話すことができないとき、(聖母の)ほかにいるあなたたちの知っている一人にのみ、私は(自らの死の真相を)明すだろう。―――2012年、私はワールドツアー≠ノ行くつもりだ。私は、ただ一度行くだろう。私が行きたかったところすべてに、一度だけ行くだろう。―――その後、私は(ハートの)場所≠選び、そこで(エネルギー/シャクティとして)沈黙にあるだろう。―――2012年の後、私は公けには何も行ないたくない。なぜなら、私は(内にあって人々を霊性へと導く以外には)一切何の関心もないからだ。』― 2010年12月 ―

大聖殺害のメッセージ≠ェ世界中の帰依者、および大聖がそれを知ることを望まれた人々に知らされた。これがワールドツアー≠フ意味するものであり、それと共に大聖は、御自身を師として受容れた人々のハートの内にあって、神聖なエネルギーとして、内なる師として、一人一人を沈黙の内に霊性へと導いている。2013年以降、大聖から継承したシャクティ‐光‐の公けの働きは、完全に二人の聖母を通して行なわれている。シャクティとして大聖は、公に二人の聖母を通して人々を導いているのである。


法灯継承者を拒絶したスリ・プレマナンダ・アシュラムの現状
大聖の霊的威光を受継ぐ後継者英国人聖母を無視したアシュラムを、 大聖は次のように述べている。
『私は、このアシュラム中を歩いた。母なる大地が私にこう言った。「あなたがここにいるとき、この場所は清浄ですが、あなたがここにいないとき、この場所は清浄でなく、人々も清浄でありません」と。私は、なぜそうなのかと尋ねると、彼女はこう言った。「あなたは清浄であり、その場所もきれいですが、ここの人々は清浄でなく、その場所も清浄でないのです」と。そこで、私は彼女に言った。「彼(女)らは全員、非常に清浄に見えます。彼(女)らは、美しい化粧等をしています」と。母は言った。「その美しさは、外側のみであって、内側はそうではないのです」と。』 ― 2010年5月 ―

英国人聖母を拒否した結果を明示する
『〈聖母が威光を放って存在するだろう〉十年後には、ここに二千人から五千人がいるだろう。・・・・・・(聖母を受容れるほど)あなたたちが謙虚であるなら、人は来るだろう。(拒否するほど)傲慢なら、人は来ないだろう。』 ― 2008年マハシヴァラトリ ―


西洋のアシュラムにて祝福する聖母
なぜ、私たちは海外にアシュラムを建てるべきなのですか?

『数多くの人々が、自己実現を熱望している。数多くの人々が霊性生活に関心を持っている。多くの帰依者たちが、霊的な主題を探求しており、その目的でインドにやって来る帰依者たちが大勢いる。彼らは、サナタナ・ダルマ、つまりすべての良い霊性の諸文化の真理の精髄≠学びたがっているのだ。このために、彼らは東洋から西洋から、世界中からやって来ている。しかし西洋においてその文化は、此処インドのものとは完全に異なっている。此処では、人々はパンジャビ(ズボンと長いシャツ)やサリーを着、女性たちは身体を覆うことが求められる。もし私があなたにサリーを着るよう言うなら、あなたはそれを着ることに慣れていないため、うんざりするが、ここでは最も敬意を払われるのはその服装なのだ。此処での食事もまた、あなたたちが家で慣れている食事とはまったく異なる。アシュラムの生活もまた、あなたの国でのあなたの普通の生活とはまったく違う。このことすべてのせいで、あなたたちは、此処に来ることによって多くを犠牲にしていると私は感じている。霊性というテーマは、全世界に適するものであるが、諸文化は異なっている。もしあなたがここにいるなら、あなたは、文化と霊性の両方を学ばなければならない。もしあなたが霊性を学びたいなら、あなたは、その文化にも従う必要がある。なぜアシュラムには非常に数多くの規則・規定があるのか? これは、異なる文化のせいだ。此処では、社会と政府が一定の規則と価値を私たちに期待し、もし私たちがそれらに従わないなら、彼らは私たちを怪しむだろう。そのような訳で、インドにおいてあなたたちは、インドの文化に従わなくてはならない。

もし私がスリランカにアシュラムを作るなら、そこでの規則はスリランカの文化に基づくものになるだろう。西洋において私は、あなたたちに適したアシュラムを作るだろう。なぜ私は、西洋にアシュラムを作りたいと思っているのか? 私は、あなたたちをあまり煩わせたくない。自国においてあなたたちは、一つの主題――霊性を学ぶだけでよいだろう。ここでは、あなたたちは5つの主題を学ばなければならない。もしあなたたちが一つの課題だけを学ばなければならないなら、それは非常に容易だ。霊性則ち瞑想だけだ。ここでは、一定のスタイルの服装をするといった一定の規則を持つことが、私たちの義務なのだ。海外では、少年少女たちは自由に交流し、彼らは互いに非常に仲が良い。それには何の問題もないが、しかしここでは、もしあなたたちが誰かを兄弟と見なし、彼と話をするなら、それさえ受け入れられない。これは、人々が未熟なやり方で考えるためだ。

―― 霊性の分野において重要なことは、あなたが進化し、より良く変化し変容することだけだ。そして私は、あなたたちに、霊性(に即した生き方)をシンプルかつ謙虚なやり方で身につけてほしいと思っている。

私が西洋にアシュラムを作ることの目的とは何か? 私は、あなたたちがいつも遠くからここにやって来なければならないことを望んでいないのだ。ただ一、二週間ここに来るために、たいそう費用がかかる。だから私は、私が航空券を取ってそこに行き、数週間滞在する方が良いと考える。そうすれば私は、一度に数多くの人々と会い、そこで彼らに教えることができる。金がまったくない人々もおり、彼らは私に会いたがっているが、航空券を買う余裕がない。だから私たちは、裕福な人々にもあまり裕福でない人々にも機会を与えなくてはならない。私〈そしてシャクティ継承者である聖母〉はそこに行き、霊性のメッセージ‐教え‐を与えるだろう。私は〈シャクティとして〉、すべての人に近づき、彼らの疑念を晴らし、彼らの疑問に答えるだろう。私は〈シャクティとして〉、彼らの問題を解決し、彼らの病気を癒すだろう。』― 1999年2月10日 ―

聖母サナタナダルマ
聖性を受容する純潔と その教え
『インドでは、西洋と比べて文化(人を神へと向かわせる生き方)が非常に異なっている。もし少女と少年が互いを愛するなら、彼らが一週間後にセックスをするとあなたたちは思うか? いいや。たとえ彼らが何年間も互いを愛そうと、彼らは互いに触れないだろう。もしそういうことが起きたら、彼らは直ちに結婚するだろう。これが、インドの様式なのだ。一般的に若者たちは、もし少年あるいは少女が彼らに触れるなら、それを好まない。彼らは結婚するまで、肉体的純潔を通す。これが太古のヴェーダにおいて説かれていることなのだ。西洋でも、最近まで、その同じ太古からの規則に従っていた。十年後あるいは二十年後、この文化はインドにおいても崩壊するだろう。なぜか? なぜなら少年少女たちは、今日の西洋的なやり方で振舞い始めるだろうからだ。彼らは既に始めている。
今私は、西洋が伝統的なインドの文化に倣うことを希望している。
私は、いつの日か、インドの人々が西洋からサナタナ・ダルマを学ぶだろうと信じている。』― 2000年5月31日 ―


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