大聖と、人間の十二の段階


第六章 人間

かつてイエスは御自身の生涯において五つのイニシエーションを実演された。大聖は、人が解放されるまでの人生の十二の段階を教示された。十二番目の段階は人間を超えている。そのため、その前までの十一の段階に応じて、十一の世代として人々が自らのもとにやって来ることを明かされた。


イニシエーションの一生涯と、解放に至る人生の十二の段階

一. 十歳から十二歳までの間、人は人生の初期段階にある。これは、人が自分だけで決断を下すことができず、したがって、人は誰かに相談しなくてはならない。
二. 人は成長するにつれ、教育、食べ物、衣服、住居などといった、自分の基本的必要を満たさなければならない。
三. 人は、恋人を、あるいは他の人間との物理的接触を求め始め、同伴者を探す。
四. 人は、仕事、生活を快適にするもの、土地、車、財産を求める。
五. 探求の段階が始まり、人は問う、「私は誰なのか。私はなぜ生まれたのか。私はなぜそれほど多くの軋轢を体験しているのか。私はなぜそれほど多くの贅沢を楽しんでいるのか。私はなぜ自分の子供にそれ程迄に執着しているのか。」と。
六. これらのどれ一つとして、永遠に続かない。自身の肉体でさえ、永久ではない。――人は、自己信頼を得るために、このことを理解しなくてはならない。
七. 人は、何千冊もの書籍を読んで真理を探し、法話に聴き入り、諸原子が創造されて以来、原子一つ一つがシャクティ(神聖なエネルギー、光)を包含しているのだ、ということを受け入れる。
八. 人は、この原子を創造してきた、自分の知覚を超えた至高の力が存在するのだということをはっきりと認識する。人は、何千もの問いを自らに発して初めて、この真理に満足する。
九. その後、人は自らを安定させ、自らのマインドを(神に)定め、より神に近づいていく。――人は自らを忘れ、行為そのもの≠ニなり、その境涯に沈潜する。――
十. その後、人は、沈黙のうちに凡てが神であることを覚る。しかし、彼は神を悟得したとたん、言葉は消え去り、いかなる疑義も消失している。
十一. 彼がどうにかこうにか一つ問いを発するとき、彼は神の祝福を受け取る。
十二. 彼はついに、このことを理にかなったやり方で体験することにより、解放を達成する。

人間は、この解放されていく諸段階を、十二歳から五十歳までの間に、あるいは七十五歳まであるいは百歳までの間に達成することができる。おそらく、人間(の営為に惹きつけられている間)は、決してその最終段階に達しないだろう。スワミジ(とそのような師方)のみが、あなたがどの段階にあるのかを理解でき、十二の段階の内あなたが在る段階に関する知識、つまりそれぞれの段階と年齢においてあなたが何を行なうべきかを、あなたに与えることができる。あなたは、自分がどの段階にあるかを尋ねるべきでない。スワミジは、あなたを個人的に教えているとき、あなたを現在在る段階よりもより高い段階に引き上げるべく教える。これは、表裏なく正直で、神の恩寵に満ち、無私で、神への信頼に満ち、何らの期待も持っていないそのような絶対の明渡しを持つ者たちによってのみ、なされることが可能だ。

私の親愛なる帰依者たち! 諸原子((エネルギーの焦点))から進化してきたこの人間としての誕生において、あなたたちは、六番目の感覚(直覚知、魂が与える是認)を施与されている。その六番目の感覚を用いてあなたは、ただ「神」と言うことしかできないだけでなく、神を見ることができる。どうかこのことを理解しなさい。

ジェイ・プレマ・シャンティ!





初期のプレマナンダとその世代の人々
『あなたたちは、一番目の世代が何をしたか知っているか? 彼らは、私の肩の上に座り、私が彼らを運んだ! それから、彼らが私を運んだとき、私は彼らの肩に座ったものだった。私たちは、岩に登り、そこで一緒に食べ物を料理したものだった。私たちは一緒に食べ、もし水がなかったら、私は手を叩いて容器を水で満たし、それを皆に与えたものだった。彼らは皆、その水を飲んで言ったものだ、「プレム、プレム、プレム!」と――それが最初の世代だった。
二番目の世代は、ちょうど私がリンガムを生み出し始めたとき、私の周りにいた人々だった。
私がマタレにいたとき、五番目の世代が私のもとにやって来た。私はよく、ディーゼル油の代わりに水を車に入れ、そのように車を走らせていたものだ。私がここ(インド)に初めて来たとき、私には、世話をしている約20人の子供たちがいた。毎朝、子供たちはミルクを必要としたため、私はバケツ一杯の水を持って来るよういい、それを掻き混ぜると、それはミルクに変わったものだった。それから私は、「OK。お茶の準備をして飲みなさい」と言ったものだ。当時はお茶に必要なミルクを買う金がなかったため、それを行ったのだ。』 ― 2009年 ―


六番目の段階
スリランカでの暴動によって、アシュラムが破壊され、そこを離れる。


七番目の段階――七番目のプレマナンダと七番目の世代の人々
『三十歳から四十三歳のとき、私は、多く話し、霊性、瞑想、ヨガ、伝統的な宗教について講話やサットサングを与えた。私はよく、インドの偉大な聖者たちや他の宗教のアヴァターたちについて話した。』 ― 1997年マハシヴァラトリ ―

『「シヴァ」は何を意味するのか? 「シヴァ」は「リンガム((焦点化されたエネルギー))」を意味する。「リンガム」とは何を意味するのか? あなただ! どうして、あなたがリンガムなのか? あなたの身体は数多くの原子から形成されている。原子の形とはどのようなものなのか? それはリンガムの形をしている。昔、賢者たちは、身体の中で原子が作り出され破壊されるのを発見した。その原子はリンガムの形をしている。リンガムはシヴァだ。シヴァは原子であり、原子〈焦点化されたエネルギー〉はあなたなのだ! 』 ― 2009年 ―


八番目の段階――八番目のプレマナンダと八番目の世代の人々
『今私は、四十五歳だ。たった今、あなたが私に何を尋ねようと、私は答えるだろう。だから、これは、何であろうとあなたのマインドの中にあることを私に尋ねるのに良い時だ。私は、あなたに答えるだろう。だから、尋ねて、尋ねて、尋ねなさい。今が、その時だ。あなたが何を尋ねようと、私は、あなたに言うだろう。手紙を書きなさい。私はあなたに返事をするだろう。後に、私は話さないかもしれない、だから、この時を最大限に活かしなさい! 』 ― 1997年マハシヴァラトリ ―

『ここアシュラムで、ここにずっと長い間居る人々の話に耳を傾けてはいけない。なぜなら、彼らはあなたたちを混乱させるだろうからだ。彼らは、自分たちは私と共に10年間居り、私についてすべてを知っていると言うだろう。彼らは、私についてどう思っているか長々と語るだろうが、しかし、それはすべて偽りだ。たとえ彼らが私と共に20年間居ようと、彼らは私のことを知らないだろう。』 ― 1994年以前 ―

『あなたたちが私の言葉に耳を傾けるとき、私が話している間はあなたたちは幸福に感じる。後で、あなたたちが他の人々(アシュラム在住タミル人)に私の言った言葉の意味について尋ね、彼らの解釈を聞くとき、彼らは間違った考えと解釈をあなたに植え付けるかもしれない。そのせいで、あなたは私の助言に従いたくても、従うことができないだろう。』 ― 2004年1月 ―

『刑務所の中にいることから私が引き出す恩恵とは、私のもとへ来る帰依者たちからの質問すべてに私が答えることができることだ。私がアシュラムに居たなら(帰依者であると主張するアシュラム在住者複数が私とあなたたちの間に割って入り)、あなたたちの質問すべてに答えることは決してできないだろうということは確かだ。そのような質問に私が与えている答えは、まもなく終わりになるだろう。だから、あなたたちは質問すべてをできるだけ早く私に尋ね、私からすべての答えを得るほうが良い。―――私は、15年間待った。』 ― 2009年誕生日のサットサング ―

『では、あなたたちは、8番目のプレマナンダから何を学ぶことができるのか? あなたたちは、私から何でも学ぶことができ、あなたはそれをしなくてはならないし、それを仕上げ終わりにしなくてはならない。』 ― 2009年 ―

『今日の科学は人間を超えた力が存在すると言っている。その力とは何か? 科学者たちは依然として答えを持っていない。それこそが、すべてなのだ。あなたたちは、それは何かだと言うことができるが、それこそが神なのだ! 』 ― 2008年3月5日 ―

『真実は、神はすべての原子に内包され、全宇宙に存在するということだ! 』 ― 2010年 ―

『神は、信を持って拝礼されるべきだ。もしあなたが神がいるかどうかを調べるなら、それは、‘疑問’〈 WHO AM I ? 〉だ。もしあなたが神は存在するのだと言うなら、それは‘疑問’ではない、‘答え’〈 I AM. 〉だ。あなたたちは‘疑問’でいることもできるし、‘答え’でいることもできる。人間はここで、時として‘疑問’であり、時として‘答え’である。それらの‘疑問’の‘答え’は、あなた自身の手の内にある。あなたたちの‘疑問’に対するすべての‘答え’は、あなたたちの手の内にあるのだ。しかしあなたたちは、自らに問いを問うていない。あなたたちは、自分はそれについて知らないと考える。あなたが知らないことは何もない。もしあなたがそれについて知らないなら、他の誰一人としてそれについて知らない。‘疑問’に対する‘答え’〈 I AM. 〉は、あなたが自分で持っている。あなたがその‘答え’〈 I AM. 〉を持っている。その‘答え’〈 I AM. 〉を、あなたたちは自分自身から取り出したがらない。なぜなら、あなたたちはそのことにおいて怠惰だからだ。あなたたちは、非常に怠惰だ。私は、あなたたちが脳の極めて小さな一点さえ使ったとは思わない。』 ― 2008年3月5日 ―


九・十の段階――九、十番目のプレマナンダと九、十番目の世代の人々について
『九番目の世代がやって来るとき、私は奇跡を行なうことを止め、手紙を書くことを止めるだろう。』 ― 2009年 ―
『九番目のプレマナンダは、此処〈プレマナンダ・アシュラム〉に居ることを決して好まないだろう。私は、それを知っている。十番目のプレマナンダもまた、此処に居ないだろう。そのレベルのために、私は場所を選び、その場所へ行くだろう。』 ― 2009年 ―

アビシェカム、神への信愛、そして瞑想
『あなたたちは、儀式礼拝やその他のプージャに専念することができるが、最終的には、最も高い実践は、瞑想 ‐禅定‐だ。私は、あなたは終日座って瞑想するべきだと言っているのではない。両目を閉じて瞑想するということが、必須なのではない。』 ― 1996年5月30日 ―
〈安定した自己制御に入る〉=〈自己を神性のコントロール下に置く〉 
アビシェカムを行うためには、あなたたちは、形成された自らの悪い諸習慣〈喫煙飲酒無節操等の放縦〉を断滅破壊し、〈菜食〉にならなくてはならない。私はまた、施行者にはブラマチャリア、独身を守ることを奨励する。なぜなら、菜食と独身(浄性)は霊的に重要であり、マインドをコントロールする助けになるからだ。 ― 1994年以前 ―

『こうして、神の神像にアビシェカムを行なった後、その形姿への瞑想は、非常に強力だ。その御姿の神の振動と恩寵が(つまり神聖な活動フォースが)、既に招来されているからだ。その御姿の神についてスローカを唱えることも役立つ。その御姿の神の百八あるいは千の御名の特別な振動が、その御姿の神の臨在(神聖な活動フォース)をもたらす。これらのスローカは、神々を招来するやり方を知っていた悟りを得た人々によって作られたものだ。マインドの中で瞑想のための正しいイメージを作るために、唱えていることを理解することも役立つ。これらは、瞑想の補助に過ぎないということを覚えておきなさい。これらは、瞑想のための適切な雰囲気を作り出す準備なのだ。』 ― 1998年12月2日 ―

『霊性の道とは瞑想 ‐禅定‐なのだ。瞑想が全く存在しないとき、霊性は全く存在しない。マインドを一点に向かわせること、それが瞑想なのだ。瞑想するときは、マインドが揺れ動くのを止めている。マインドが揺れ動かない、そのとき、永遠である何かを見い出す。それだけだ!
祈りアビシェカムを行なうとき、神への信愛(バクティ)を体験する。神への信愛は、解放(解脱)の第一歩だ。』 ― 2010年 ―

『あなたたちが考えるべき重要なことは、バジャンを歌っているときあなたたちのマインドがどこにあったかということだ。「私のマインドは真に神を信愛する心の状態にあるか」と、あなたたちは、自分のハートに問うたか? もしあなたが真に帰依の状態(バクティ)にあるなら、あなたは神を信愛する者だということを意味する。あなた自身を忘れ、目には涙が溢れ、あなたのハートは、内なる感覚の中で溶解する。神を信愛する心(バクティ)とは、あなた自身を忘れさせるのだ。』 ― 2008年マハシヴァラトリ ―

『(私にとって)すべての問題には、非常に容易な解決策が存在する。あなたたちがそれに従うなら、それで十分なのだ。あなたたちが瞑想したいなら、(個々の違いに由来する)非常に小さな問題があるだろう。些細な問題だ。しかしあなたたちは、その些細な問題をどのように解決すべきかを知らない。だからあなたたちは、私に尋ねなければならない。そうすれば、私はあなたたちに教えるだろう。それを私は、あなたたちに、個別にしか教えないだろう。』 ― 2010年12月 ―

『一人一人に違いが存在する。それは、完全に異なっている。だから、その違いを楽しみなさい。』 ― 2010年12月 ―

沈黙のサットサング
『一日のうちしばらくの間は、少し沈黙しなさい。沈黙の時間に、あなたは非常に深く内側へ入ることができる。毎日の短い瞑想は非常に助けになる。他の人たちとのサットサング中に、沈黙してグループ瞑想をすることは、もっとも向上させる体験の一つになりうるのだ。』 ― 1995年2月 ―

新時代のヨガ ― 高位のエネルギーを変換する ―
『あなたたちがグループ瞑想(伝導瞑想...etc)に病みつきになるのは一向に構わない。―――グループ瞑想は沈黙のサットサングなのだ。』 ― 1995年2月 ―


十の段階――十番目のプレマナンダと十番目の世代の人々
『十番目の世代がやって来るとき、私は話すことを減らすだろう。』 ― 2009年 ―
『十番目のプレマナンダもまた、此処プレマナンダ・アシュラムに居ないだろう。そのレベルのために、私は場所を選び、その場所へ行くだろう。』 ― 2009年 ―

『昨日の夜午後11時に、私は、アシュラムを一回りした。非常に静かで、私は非常に幸福だった。千人の人々がここに住んでいるが、それでも、この場所には、依然として静寂が存在する。ここに居住してさえ、彼らはその静寂を理解し得る能力を持っていない。あなたたちは、他のどこかで、この平和に満ちた静寂を見つけることができるか。もしあなたが森へ行くなら、この静寂を楽しむことができるか。それは、非常に静かだ。私は、朝、昼、晩――と、これを観察した、私はその静寂を見ることができた。』 ― 2009年8月 ―

『最も真実なる教えは、師から生徒へと、沈黙の内に、精妙な向上させるエネルギーという形で、伝えられる。』 ― 1995年3月 ―

『至高の霊性は、神聖なる波動を通して沈黙の内に教えられる。』 ― 2004年以前 ―


十一の段階――十一番目のプレマナンダと十一番目の世代の人々
『十一番目の世代は、このような体験を何も持たないだろう。私はサマーディにあるだろうから。彼らは、私を見る機会さえ得ないだろう。』 ― 2009年 ―

『生まれてから今まで、私は一度も自分自身の為に何かを神に頼んだことはない。私は、頼むことはできない。
私は、サマーディの前日一つのことを神に頼むかもしれない。
もう私は地上を去る時です、と言うかもしれない。
私を連れ戻してくださいますか、と。』 ― 1999年11月24日 ―


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