『神は、信を持って拝礼されるべきだ。もしあなたが神がいるかどうかを調べるなら、それは、‘疑問’〈 WHO AM I ? 〉だ。もしあなたが神は存在するのだと言うなら、それは‘疑問’ではない、‘答え’〈
I AM. 〉だ。あなたたちは‘疑問’でいることもできるし、‘答え’でいることもできる。人間はここで、時として‘疑問’であり、時として‘答え’である。それらの‘疑問’の‘答え’は、あなた自身の手の内にある。あなたたちの‘疑問’に対するすべての‘答え’は、あなたたちの手の内にあるのだ。しかしあなたたちは、自らに問いを問うていない。あなたたちは、自分はそれについて知らないと考える。あなたが知らないことは何もない。もしあなたがそれについて知らないなら、他の誰一人としてそれについて知らない。‘疑問’に対する‘答え’〈 I AM. 〉は、あなたが自分で持っている。あなたがその‘答え’〈 I AM. 〉を持っている。その‘答え’〈 I AM. 〉を、あなたたちは自分自身から取り出したがらない。なぜなら、あなたたちはそのことにおいて怠惰だからだ。あなたたちは、非常に怠惰だ。私は、あなたたちが脳の極めて小さな一点さえ使ったとは思わない。』 ― 2008年3月5日 ―