大聖の十一の生涯区分


第七章 参集者たち 〈一〉


大聖の十一の生涯区分と、人々の学び
私は一人の帰依者に、私はもうあと何年生きるべきかと尋ねた。彼女は、私はもう何年も長く生きるべきですと言ったが、それは正しくない。あなたは、私が何歳まで生きるべきなのかを私に言わなければならない! あと、もう二つの世代のやって来るべき帰依者たちがいる。だからもしあなたが、私はもうあと何年間生きなければならないのかを私に言うなら、そのとき私は、それに応じて、その年月を二つのグループつまり二つの世代のために半分ずつ分けることができる。15歳で私は霊性の生活を始め、その当時、私には共にいる帰依者たちのグループがいた。そのグループは、今私のもとを去っている。それぞれの世代は何年間私と共にいるのか? それは十日間かもしれないし、十年かもしれない。これがスワミ・プレマナンダ・ジェネレーションである。イエス・キリストには、十二人の弟子がいた。私は、十二人の弟子を持たなかった。代わりに私は、十一のグループあるいは十一の世代(神聖の目撃者たち)を持つだろう。一つのグループは、私の奇跡のすべてを見た。これらの異なるさまざまなグループすべてが、私のさまざまに異なる行為を見た。私に会いに来る予定の最後のグループは、私の沈黙を見るだろう。私と共に居た最初のグループは、私とおしゃべりすることができ、私たちは冗談を言い笑ったりして共に楽しんだ。そのグループが私に会いにやって来て、私がモウナムの内にあるなら、彼らは怒りを感じるだろう。彼らは、私の沈黙にうんざりするだろう。しかしながら、私がモウナムの内にあるときに私の周りにいるであろうグループは、私の沈黙を好むだろう。私は、誕生以来、十のさまざまに異なる仕方で行動してきた。私が生まれてから変わっていない唯一のことは、マハシヴァラトリの最中にリンガムを生み出すことだけである。10歳の時、私はあるやり方で振舞っていた。私が17歳だったとき、私は違うやり方で振舞っていた。インドにやって来る前、私は特定のやり方で振舞っていたし、それから、インドへやって来た後、私は別のやり方で振舞っていた。私がインドで数多くの聖者たちおよび賢者たちに会ったとき、私は、さらに異なるやり方で振舞っていた。

これは、古いスワミ・プレマナンダではない。これは、八番目のスワミ・プレマナンダだ。私が十番目のプレマナンダになるとき、わたしは、ただあなたたちを見て笑うだろう。あなたが私に何を尋ねようとも、私はただ頷くだろう。もしあなたが、「スワミ、私は結婚するつもりです。スワミ、私には仕事で問題があります」と言うなら、そのとき、私は、ただ頷くだろう。だからそのとき、あなたたちは私が何をするつもりなのか分からないだろう。私は、モウナムの内にあるだろうから、あなたたちは決して分からないだろう。もし私があなたたちの問題を解決しようと思うなら、そのとき、私はそうするだろうが、もし私がそれは時間の無駄だと思うなら、そのとき、私は、何もしないだろう。現在、私は、八番目のプレマナンダであるから、あなたにこう言う。「私は、これやあれをあなたのためにするつもりはないが、斯く斯く然々のことをするだろう」と。私が三番目のプレマナンダであったとき、もし誰かが問題を抱えて私のもとへ来たなら、私は、彼らを私の車で連れて行き、リンゴやお菓子や彼らが頼むものを何でも物質化し、彼らの問題を解決し、彼らを送って行ったものだった。それは一時のことだったのだ。今日、あなたたちは八番目のプレマナンダを見ているのだ。

もしあなたたちが、今あるような私、つまり八番目のプレマナンダに会いに来て、五番目のプレマナンダであったときと同じやり方を私に望むなら、あなたたちは愚かだ。その時は、終わったのだ。過去は過去なのだ。私が九番目のプレマナンダになるとき、私は、異なったやり方で振舞うだろう。私が既に九番目のプレマナンダになったとき、あなたたちが私に、八番目のプレマナンダのように振舞うことを望むなら、そのときそれは、愚かなことだ。では、あなたたちは、八番目のプレマナンダから何を学ぶことができるのか? あなたたちは、私から何でも学ぶことができ、あなたはそれをしなくてはならないし、それを仕上げ終わりにしなくてはならない。私があなたたちにしてもらいたいと思っていることは、それだけだ。あなたたちの時間を無駄にしてはならない。怠惰でいてはいけない。あなたたちは若い。あなたたちは、60歳ではない。あなたたちが60歳になったとき、往時を振り返り、それに拘泥しているべきではない。あなたたちはその若い時に、何を達成したいのか? あなたたちは、どのような霊的状態に達したいのか? あなたたちは、それについて学ばなければならないし、それを仕上げ終わりにしなくてはならない。あなたたちは、スワミ・プレマナンダが死ぬ時まで一緒に生活したいと考えているのか? あなたたちは、そのように考えるべきではない。私のみが、その秘密について知っている。私のみが、ある人がどれくらいの間私と共に居るか知っているが、しかし、私はあなたたちにそれについては話さないだろう。その時が来たとき、あなたたちは、私のもとを去るだろう。神は、あなたたちがどのくらいの間私と共にいるべきなのかをお決めになっている。私はこの時期、あなたたちのもとに来ており、あなたたちによりいっそう近づいているが、しかしあなたたちは、私から逃げている。それは間違っている。もし私がある人に、内的に私の近くに来るよう言うが、彼らは私から遠く離れていたがり、それでいて外界で私のために働きたいと思うなら、そのとき、それは間違っている。もし今があなたの時なら、内的にあなたは私の近くに来なくてはならない。なぜ、あなたは私から内的に遠く離れているのか? 私は、これをあなたに一度、二度、三度言うことができる――もし私がそれをあなたに四度言うなら、そのとき、それはまるで私があなたに強いているかのようだろう。あなたは私の子供であり、あなたは私のもとへ来た、だから、私の願いは、あなたが光を見るべきだということなのだ。それだけなのだ。私はあなたにその光を示すことができるが、しかし、内的な実質において、あなたは私のもとへ来なければならない。私は、あなたを傷つけたくないし、あなたを不愉快にさせたくないが、しかし私は、年を取りつつある。私は、昨日の私であった状態ではないのだ。六ヵ月の内に、私はさらに違っているかもしれない。あなたが今私から学べるものを学びなさい――それをもっと後で学ぶことができると思ってはならない。

これは、八番目のプレマナンダだ。もしあなたが、スワミが五番目のプレマナンダだったときにスワミの周りに居たのなら、そのとき、あなたは、その五番目のプレマナンダを見ることを止めるべきなのだ。あなたは、私が今八番目のプレマナンダであることを見るべきなのだ。私は、まもなく九番目のプレマナンダになるだろう。私がひとたび九番目のプレマナンダになるなら、そのとき、あなたは、八番目のプレマナンダを忘れるべきなのだ。そのとき、あなたは九番目のプレマナンダに応じて振舞わなければならない。それから、十番目のプレマナンダがやって来るだろう。そのとき、あなたは、八番目のプレマナンダであるよう私に頼むことはできない。私が十番目のプレマナンダになるとき、私は、モウナムの内にあるだろうから、あなたもまた、私と共に沈黙していなければならないだろう。それが、あなたにとっても、また私にとっても良いだろう。七番目のプレマナンダは、プレマナンダ・アシュラムにいることを好んだ。九番目のプレマナンダは、きっと此処にはいないだろう。九番目のプレマナンダは、此処〈プレマナンダ・アシュラム〉に居ることを決して好まないだろう。私は、それを知っている。十番目のプレマナンダもまた、此処に居ないだろう。そのレベルのために、私は場所を選び、その場所へ行くだろう。十番目のプレマナンダは、すべてのことに用意ができているだろう。もし私があなたたちにこのこと=q神によって予め定められていたこと:――帰依者を主張する者たちが破壊フォースの通路となり、師を暗殺する側に就いて奈落へ堕ちて行くこと〉について話すなら、そのときあなたたちは、〈物事を成就させるべく去って行く〉私に腹を立てるだろう。あなたたちは、スワミがアシュラムにいるとき、自分の担当部門の仕事をしないのだから、では、なぜ私はここにいるべきなのか? あなたたちは、何のために私に此処に居て欲しいのか? なぜ私は、此処にいなければならないのか? あなたたちは、私にあなたたちのように怠惰で眠っていて欲しいのか? 私は、そのために此処には居ない。もし私が来るなら、私は働きたいのだ。もし霊性を教える仕事が全くないなら、そのとき、私は、プレマナンダ・アシュラムを去りたいのだ。私は、そのようであるのだ。私は気短ではないが、しかし、自分の時間を無駄にすべきではないと思っている。

ジェイ・プレマ・シャンティ!


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