大聖とサナタナ・ダルマ


大聖と、サナタナ・ダルマ


第九章 霊性復興


サナタナ・ダルマ
『サナタナ・ダルマとは、宇宙の母だ。サナタナ・ダルマとは真理であり、永遠なる絶対者の聖伝系譜だ。
――サナタナ・ダルマは英知であり、悟った賢者たちによって口伝された、非常に古い古えからの神聖な教えのすべては、そこに起源を持っている。
――サナタナ・ダルマは、至高の意識を理解し説く教えから成る。
――サナタナ・ダルマは、シャクティ(神聖なエネルギー)であり、良い真の諸宗教はすべて、彼女の子供たちだ。
――サナタナ・ダルマは人間たちを、人間の内なる真理の発見へと導く実践的な霊性だ。
――それは、人間にどのように生きるべきかを示す。』 ― 2000年9月6日 ―


サナタナ・ダルマの再興
『今いる人々すべてが、聖なる母によって計画されてきた霊的再生という偉大なる復活への参加者になるべく運命づけられている。謙虚に忍耐を持って聖なる母のドラマを演じさせてもらおう。あなたたち人類はこのような偉大なる出来事に立ち会うよう祝福されているのだ。』 ― 1995年4月6日 ―


サナタナ・ダルマの師方
『再び、偉大なる魂、イエス・キリストの誕生を思い出す時だ。彼は、サナタナ・ダルマの師であった。彼は、数多くの伝統的な霊性の存在方同様、あちらこちら歩いて回り自分の教えを広めていたものだが、しかし彼は、アシュラムを建てなかったし、特定の場所に住むことすらしなかった。イエス自身が歩くアシュラムだったのだ! 』 ― 1999年12月22日 ―

『究極的には、すべての師方は、サナタナ・ダルマ、つまり普遍的なエネルギーと調和した古来からの生き方を教えている。このダルマ、この偉大なる生き方は、現代的なものではない。それは、近年に始まったものではない。それは、この地上における時の始まりに発する。それが、サナタナ・ダルマの始まった時なのだ。師方は、あなたにサナタナ・ダルマを教える。』 ― 2000年4月12日 ―


師弟相承
『師は、弟子に対しほとんど言わない。教えは、単に言葉によるものではないのだ。師が弟子に言うことの中には、弟子の内側において霊的なレベルで作用する、より高位のエネルギーが存在する。だから、師がすべてのことを言葉や教えの中で語ることは、重要ではないのだ。教えは、知的に起こるだけではなく、特に意識のより高位のレベルで起こるのだ。』― 2000年11月29日 ―

『霊性とは、シークレット・ドクトリン(〈 秘められたフォース体系 〉)だ。』 ― 2009年マハシヴァラトリ ―

『瞑想の不可欠な部分とは、生命〈フォース〉と肉体〈センター/チャクラ〉における神聖な諸フォースの働きを識別することだ。』― 2007年11月 ―


大聖の義務 ―サナタナ・ダルマ〈英知〉を教える―
『私は、帰依者たちすべてが道に立脚するだろうとは思っていない。ラーマクリシュナやヴィヴェーカーナンダやイエスといった偉大なる師方は、無数の人々に英知の教えを説いたが、しかし、英知を達成したのは、ほんの少数の人々だけだった。』― 2000年5月17日 ―
『もしあなたが英知(〈 ニャーナム 〉)を達成したい、つまり悟りたいなら、あなたは、マインドを物質的な諸想念に関わらせないよう、絶えず訓練すべきだ。欲しいものや欲望、他の人々や物や地位などへの執着について考えることは、決してあなたにニャーナムつまり悟りをもたらさないだろう。数多くの人々にとって、このマインドと生活様式の変化は、その人生において危機点をつくりだす。彼らは、自分の生き方と習慣をまるごと全て変える必要がある。そのような訳で、霊性の師方、つまりグルたちやアヴァター方や至高を体験した人々が、俗世の生活に巻き込まれている人々に対し、英知を説くことは非常に難しいのだ。』― 2000年5月17日 ―


『刑務所に入っている人々全員が犯罪者であるとは限らない。刑務所の中には、数多くの無実の人々がいるが、しかし、多くの犯罪者たちが刑務所の外にいるのだ! 犯罪者たちはすべてのことを周到に計画して行い、即座に刑務所から出てくる。数多くの善良な人々が刑務所の中にいるのだ。私は彼らに対し、この13年間、集注した霊的指導をしてきた。私は、もうあと一年彼らを教育し、14年後に、出てくるだろう。私が出てきたとき、そのような指導をあなたたちすべてに与えることが可能かどうか、私は疑問に思っている…あなたたちは、私を有効に活用するだろうか?』― 2007年8月 ―


『私は、自分が刑務所の中にいるとは感じていない。なぜなら、私は、そこで霊性を教えることが非常に容易いということを分かっているからだ。私がどこにいるかは、私にとって重要ではない。私にとって重要な唯一のことは、人間に霊性を教えることだ。私がどこにいようと、私は、私の諸義務と奉仕を非常に幸福に行っているだろう。イエス・キリストは、真理を語るためにやって来たため、十字架にかけられた。なぜ、彼らは彼を十字架にかけたのか? なぜなら、誰一人彼を理解しなかったからだ。イエス・キリストは、それについて心配しなかった――彼は、それを非常に気楽に受けとめていた。ブッダは、ダルマ、つまりサナタナ・ダルマの生き方を説いた。生涯の終わりを前にして、ブッダは毒を盛られたが、しかし彼は、それが起こることを知っていた。彼は、彼が与えている真の教えを受け入れない人々が彼を毒殺するだろうと予期していた。同様にラーマは、サナタナ・ダルマを教えるためにやって来たが、しかし、彼は14年間の刑務所生活を言い渡された。当時は刑務所がなかったため、彼らは彼を密林に送った。したがって、そのような苦難は、霊的存在たちへの贈り物のようだ。

クシャトリヤ(ここでは、御自身を戦士と呼んでいる)は、このようなことを一切恐れないだろう。彼は、こう考えるだろう。「そのような物事は、私に影響を及ぼさない。私はサナタナ・ダルマを教えるためにやって来ているのだ。それは、人々に教えられなければならない。もし彼らがそれを受け入れないなら、私に何ができよう? 」と。すべてが神のドラマだ。私は何の心配もなく、生きている。私がアシュラムに居るときではなく、私がアシュラムに居ないときに起こるであろうことが重要なのだ。(→ ラーマは森に追放され、一連のドラマ≠ヘ開始された。ドラマは、スワミジ不在のアシュラムや欧州のセンターで進行していたのである。)

インド刑務所の中に行き、そこで霊性を教える許可を得ている者は、誰一人いない。それは禁じられている。誰一人、それを行うことを許可されていないのだ。人々は刑務所を訪れることが許され、10分間かそこら刑務所の中に行き、それから、彼らは出てこなくてはならない。あなたが刑務所に行き、その中で霊性を教えることを認める規則がないのだ。このことを神が知らないだろうか? したがって、神は、プレマナンダが刑務所の中に行って、霊性を教えるべきだと考えられたのだ。だから、私は、その義務を果たすべきなのだ。私は、数多くの殺人者、犯罪者、泥棒、テロリストを助けてきた。私は、神を信じない人々にさえ会った。彼らは、頑として神を信じない。あなたたちは、彼らに話しかけることさえできない。しかしながら、私は彼ら全員と話をし、また、彼らに霊性を教えた。ここに、私が霊性を教えた無神論者だった者がいる。今や彼は変わり、神への真の帰依心を持っている。たった今彼の顔を見て、私は、それについて話し始めたのだ。私が霊性について話すや否や、彼は、私が言っていることを茶化したものだった。今彼は、「あなたは人間ではありません、あなたは神でありアヴァターです」と言う。…

私は、私がそのために来た(サナタナ・ダルマを教える)仕事を行っている。私は、私に与えられた仕事を行うためにこの地上にやって来たし、私は、その仕事を行っている。私がどこにいようと、私は絶えずその仕事を行うだろう。私は、それを止めないだろう。私は、それを止めることはできない。なぜか? なぜなら、それが私に与えられた義務だからだ。私は刑務所の中にいようといなかろうと、それを美しいやり方で行うだろう。もしあなたたちがそれを好まないなら、そのとき私は、刑務所の中にいるだろう。しかし、彼らがそれを好もうと好むまいと、刑務所を運営している人々は、私を刑務所から追い出すことはできない。彼らは、そこで私の面倒を見なければならないので、私の教えはそこで有効に働くだろう。(今やカーストに基づく差別意識の温床と成果てた)アシュラムでは、私の教えは有効に働かないだろう。なぜなら、あなたたちが私の説く教えを受け入れないそのとき、あなたたちは、私を放り出すだろうからだ。
…あなたが私を信じるかどうかは、あなたの宿命だ。しかし、私の義務は、あなたを神へと導く、表裏のないありのままのやり方であなたを教えることだ。』― 2008年7月 ―

『私は、誰にも腹を立てていない。…もしあなたたちのうち、一人が間違いをするなら、そのとき私は、それをあなたに面と向かって言うだろう。それをあなたに言うことは、私には一切恩恵を与えない。恩恵を受けるのは、あなたたちだけだ。』― 2010年12月 ―

『マーヤは、あなたたちの知らぬ間に、あなたたちの内側に住みついている。…もしこのアシュラム居住者が誤りを犯すなら、私は彼女を叱るだろう。(師の叱正によってマーヤが破壊された)彼女は「はい、グルデーヴァ」と言って、微笑んで立ち去るべきなのだ。しかし実際は、私が彼女を叱ると、(自己同化したマーヤが破壊されまいとして)彼女から即座にマーヤ(怒り)が飛び出てくる。それは、決して起こるべきではない。あなたたちは、こう考えるべきなのだ。「師が私たちの間違いを指摘したことで粗捜しをしているのだと考えるなら、そう考えることも私たちのマーヤ(謬見)なのだ。師は、私たちに対して、粗捜しをしているのではないのだ、私たちはこの肉体にあって数多くの不備を持っている、その不備が、師の言葉によって浮上させられ、破壊されるのだ。師は、人々を変容させようと努めているのだから、私たちは自らを完全に師に明け渡そう。師は自らの教え(と、教えの実質であるエネルギー)を私たちに分け与えようとなさっているのだから、私たちは、師を理解しようと努めなければ」と。』― 2010年ブッダプールニマ ―


 ― 自己信頼を成就する ―
『あなたは、自らを欺いている。あなたは、自分自身に嘘をついている。あなたは、自分自身に満足していない。あなたは、自分自身を信じていない。あなたは、他者を信じる。あなたは、自分の諸問題を他者に話す。なぜ、あなたは、あなたの内側にスワミ・プレマナンダがいるというのに、あなた自身にあなたの問題を言うことができないのか? なぜ、あなたは、あなた自身にあなたの問題を言い、それらを解決することができないのか? もしあなたが私に完全な信を持っており、もし私があなたのハートの中に住んでいるなら、そのとき、あなたは、全く何の問題も持たないだろう。…もし私があなたのハートの中に住んでいるなら、そのとき、それは、神もまた、あなたのハートの中にいるのだということを意味する。それはどのように働くのか? あなたは、私を知っている。私は神を知っている。神は、私のハートの中に住んでおり、私はあなたのハートの中に住んでいる。したがって、その意味するものは、神もまた、スワミ・プレマナンダと共にあなたのハートの中にいるということだ。』― 2009年マハシヴァラトリ ―


『霊性の教師は、帰依者たちに非常に困難なテストを与えることはしない。幸福で平安に満ちた家庭生活を送ることができるよう、彼らを助け、支え、祝福するのは、彼の義務だ。彼は、確かに彼らを訓練するが、ただし、勇気づけとても支えになるやり方で行う。けれども、もしあなたが弟子として受け入れられ、至高のダルマ〈霊性の法則〉を理解したいと思うなら、そのとき、師は直ちにあなたをテストし始めるだろう。』― 1996年6月13日 ―


『自分は数多くの欠点を持っており、私があなたをきれいにすることはできないと考えてはいけない。あなたは内側に多少、些細な悪いところを持っているだけだ。人は、自らを完全に悪い人間であると断定すべきではない。

だから、私があなたに集中訓練を施すとき、私のことをあまり誤解してはならない。これを行うために、私が物理的にあなたの近くにいる必要はない。あなたが私を自分の教師と見なしたため、これ〈弟子の集注浄化の過程〉は自動的に起こる。あなたはトラブルに見舞われ、私はあなたを叱るかもしれないし、あなたはどういうわけか一見したところ失意に苦しむかもしれない。このような体験すべてを通して、あなたのエゴは減殺されるだろう。

もしあなたが霊的に多少成長するなら、エゴもまた成長し問題を作り出す。最終的に、エゴは粉々に粉砕されるだろう。そして、そのとき、あなたを邪魔するためにエゴが浮かび上がってくることは、二度とないだろう。完全な粉砕には時間がかかり、大いに忍耐が必要だ。』― 1995年11月9日 ―


『奉仕は、霊性の道とは完全に異なるやり方だ。奉仕を通して、あなたは自らを幸福にし満足させる。単に奉仕を行なうことによっては、あなたは悟りを得ないだろう。あなたは、霊性〈瞑想〉も実践しなければならない。』― 1999年7月7日 ―

『霊性の道とは、瞑想 ‐禅定‐ なのだ。瞑想が全く存在しないとき、霊性は全く存在しない。』― 2010年 ―


瞑想するためにあなたたちには只一人往く自信が必要であると、私は常に強調している。あなた自身を他の人と比べてはいけない。それぞれの人が異なるレベルにある。それぞれの人に違ったふうに感覚が伝わる。あなたの感覚は完全に個人のものであり、別の人の感覚と似ているものではないのだ。あなた独自の五感について書き留め、あなたの傾向や好みがどのようなものであるかを見い出しなさい。・・・

私は、あなたたちに自己探求はただ一人で行うようにと忠告する。自分の内的な修行を他の人々と話し合わないようにしなさい。これは機密事項なのだ。あなたの感覚は少しばかり気違いじみているかもしれない。そうした感覚のことを人前で話し合っても役に立たない。秘密に、そして嘘偽りなく正直に、そうした感覚に取り組みなさい。そのようにすれば、あなたは真の自己知識に導かれ、自分に対する自信を築き上げることができるだろう。霊性においては、最も深い部分の物事についてはあなたの生涯の伴侶とさえも話し合わないほうが良い。・・・

私は、あなたたちに、あなた自身を自分自身で探求するように勧める。あなたの感覚がどのように働くかを知って、それからあなたの内なる師とどのようにしてその感覚に取り組んでゆくかを解決してほしい。そのとき、あなたは独自に、そして着実に、自分の内的な道を静かに辿っていくことができる。聖性のエネルギーに拠って、自然と、あなた自身を高いレベルまで上昇させなさい。もしあなたが人生のさまざまな状況に対する自分の感情や感情対象への反応をまだ理解していない(各個の情緒界層に於けるあらゆる感情を超脱して 無害無執着を体現してしていない)のなら、これを行うことは不可能だ。』― 1996年5月 ―


修養(サーダナ)の要諦
『マインドを何の重荷もなく軽く保つことが、霊性のサーダナと呼ばれるものである。これを実践するために、猛烈な訓練は必要ではないし、マインドをコントロールするために山々やジャングルをさまよったりする必要もない! そのためには、神への無私全托と真理に忠実であることが、唯一必要なことである。
もしあなたが嫉妬を感じることなく、真実で柔軟な人生を送り、真剣に神を求めるなら、神はあなたに、外側からは現われないだろう。神はあなたの内側から生じ、あなたにダルシャン(聖なる実在を見ること)を与えるだろう。』― 2005年8月 ―

印象(刻印)を忘れ去る
『外界を忘れなさい。外側を見てはならない。内側についてのみ考え、マインドをコントロールしなさい。あなたの日常の仕事を行い、それからそれを忘れなさい。食べ、それを忘れ、手紙をタイプし、それを忘れ、沐浴し、それを忘れなさい。あなたのマインドの中に諸想念を持ち続けてはいけない。あなたのマインドを自由にしておきなさい。』― 2000年5月17日 ―

『ニャーナムおよび高貴に達する最も確実な方法は、あなたのさまざまな不完全さを理解し、不完全さを悔い、それらを正し、それらを忘れ、至高の英知を達成することに生涯を捧げることだ。』― 2000年5月17日 ―


なぜあなたはすべての人のための詳細かつ具体的な瞑想を与えないのですか?

各人が彼(女)独自のやり方で瞑想し発達するだろう。すべての人が、ラマナ・マハリシやラーマクリシュナやブッダと同じ方法で悟りに達することはできるわけではない。あなたが瞑想においてある段階に達したとき、あなた特有の独自の方法がどのようなものであるか知るようになる。はあなたのためにある方法を与える。はあなたにとって正しいものである的確な方法を知っている。〈内在する真正の〉師は、あなたのマインド、あなたの特質、あなたの傾向(ヴァーサナ)に適した方法を与える。彼もしくは彼女のみが、あなた独自の個人的な瞑想のやり方を理解し知っており、そのようにあなたを教える。〈内在する真正の〉師は、あなたの生活様式を知っており、それに応じてあなたに固有の瞑想を教える。』― 2001年マハシヴァラトリ ―


一瞬の神性≠生き切る
神を実践する
『私は家に行くと、自分で実用的な仕事をし、それが仕事であることを即座に忘れる。私は、それを始めるやいなや、その仕事だけに集中するため、どの類の仕事も好きだ。あなたたちが行うこと‐作務‐を、申し分なく完全に集中して行ないなさい。神についての考え以外、他の諸想念を切り捨てなさい。あなたの日々の生活を霊化しなさい。そのとき、あなたの料理、掃除、洗濯さえ、あなたに、神の賛歌を謳い出す ! ! あなたの生活すべてが、より高位のエネルギーに満たされるだろう。』 ― 1996年5月2日 ―

神に定まる
『私は刺繍をうまくすることができる。私はミルク菓子のような菓子を上手に作ることができる。私は料理が上手だ。私の料理は美味しいよ。私は服を非常に上手に洗濯し、服を良い状態に保つ。私は祖母の服、母の衣服を洗った。私はそれらを非常にきれいに洗った。私は友達の服を洗った。
このように、私はあらゆる類の仕事を行なう。私は私の仕事を厭わない。私は聖者だ、神聖な存在だ、私は神だ、だから、そのようなことはしないなどと、私は言わない。私はすべてのタイプの仕事を行なう。もしあなたが私に沐浴させてもらいたいなら、私はそうするだろう。彼は弟子なのだから、私は彼の沐浴の手伝いなどできないなどと考えたくないし、神性から離れたそのようなメンタリティを、私は持っていないのだ。私は、非常にシンプルな生き方で生きることを好む。』 ― 2008年マハシヴァラトリ ―


聖母ディヴィアからの贈り物
至言の教え
『私が最初にスワミジのもとに来て霊性の道を辿り始めるとき、師に尋ねました。「スワミジ、私は神を実現するために、どのようなサーダナを実践しましょうか? 」スワミジはこう答えられました。「サーダナ、あなたは、瞑想やジャパのことを言っているのだね。・・・私は、あなたは料理とガーデニングをすることを学んではどうかと提案する。あなたは、これらの科目を修める中で、すべてのことを学ぶだろう。」そして、もちろん、師は百パーセント正しかったのです!

スワミジは、花の咲く潅木や木々が、最高の芳香を放つ愛らしい形の得も言われぬ美しい花々を産み出すことによって、彼らの自然な愛を表現するということを、私に示されました。これらの忍耐強く、物云わぬ与える存在たちは、彼らの神性を私たちと分かち合うことを望んでいるのです。スワミジは、私たちに、生き物をどのように尊重し、気遣いと優しさを持ってそれらを育むべきかを教えられます。』 ― 1993年11月マザー・ディヴィア ―


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