参照2 日本からの、政治に関わる団体の破壊活動付記:2013年4月現在

2 背景にある金による破壊工作
a. チャリティーのための寄付という名目で買収・乗っ取りを企むG会

『あなたたちが否定的な諸想念を持つとき、あなたたちはまた、有害な人々をあなたたちのもとへ引き寄せる。』(2010年)

G会は、プレマナンダ・アシュラムおよび諸センターをG会の意のまま使えるようにするために、チャリティーのための寄付という名目で、多額の金をアシュラムおよびヨーロッパの帰依者たちのファウンデーションに投入した。(その金で、アシュラムには現在、鉄筋コンクリートの病院用ビルが建っている。 → 参照、チェンナイのG会女子大

『・・・あなたが幸福とマインドの平安を感じる場所に行って座りなさい。そうせずに、あなたたちはどうするか?あなたたちは、アシュラムに留まってこう考える。「なぜ、スワミは、この建物の屋根を椰子の葉で葺いているのか、なぜ、コンクリートの屋根にして、二階を建てなかったのか?」と。私は、建物を建てるためにここに来ているのか? 私は、建築業者なのか? なぜ、あなたたちに、このようなものすべてが必要なのか? 簡素な生き方で生きなさい。幸福で在りなさい。あなたたちは高層ビルを建てることができるが、しかし、そこに何がある? 鉄製の棒、コンクリート等、それだけだ。・・・あなたたちは、成熟した状態にまであなたたち自身を発達させるべきなのだ。もしこの世界にたった一人良い人が存在するなら、そのときあなたたちは、この世界で数多くのチャリティー活動を行うことができる。』(2010年5月)

『この世への執着を棄てることによって、彼は、真理を切望する。この後で彼が行なうことは何であれ、チャリティー、苦行、犠牲になるだろう。』(1987年7月)

『もし奉仕が利己的に行われるなら、そのときそれは、奉仕ではなく、利得行為だ。』(2008年7月)

折に触れてG会は、代理人を通して多額の寄付を出そうとしたが、スワミジは、アシュラムおよびスワミジを意のままにしようというG会の意図を知っていたため、それを断っていた。

2009年、スワミジが複数の訴訟事件のために行動を起こされたとき、(一人で持つには非常に多額の)その費用全てを持つと名乗りを挙げた者がいたが、スワミジは一人から受け取ることは間違っていると述べ、その申し出を断り、帰依者全員が参画する、ということにしたのである。
2010年1月、スワミジに関する訴訟事件は最高裁の段階にあり、スワミジに有利な状況にあった。
ところが、突然一ヶ月も経たない内に、スワミジに有利なこの裁判の状況がすっかり変わってしまったことを、翌月2月のマハシヴァラトリ時に、スワミジは次のように述べられた。


『裁判において、私はネゴシエーション(幾つかの罪状を認め金を払うことで出所を許される保釈金交渉)を持ち出された。しかし私は、(自分が全くの無実であることを知っているため)ネゴシエーションに応じるつもりはない。もし私がネゴシエーションに応ずるつもりだったなら、私はもっとずっと前に出てくることができたのだ。私はネゴシエーションに応じるつもりはない。』(2010年2月12日マハシヴァラトリ)

日本の政治に関わるG会の工作員が身元を隠してアシュラムに入り込んでいたため、G会がスワミジに関する訴訟事件の情報を検察側に流し、上記の裁判状況になった。G会は、ネゴシエーションの金を出すことでスワミジをG会の意のままにしようとしたが、スワミジはマハシヴァラトリ前に既に断っていた。

同様に、2009年、G会は、スワミジの霊廟となるシヴァ・シャクティ寺院の建築費用全てを持つと代理人を通して申し出たが、スワミジは、『寺院は、一人の寄付によって建てられるべきでない』と再度断った。

しかしながら、アシュラムおよび帰依者たちは、G会の金にすっかり魅せられてしまい、多額の金を断ったスワミジに徹底的に反発した。金を断られたG会も、意のままにならないスワミジの削除へと方針を転換した。



b.アシュラムで金儲けをしたがる人々

『あなたたちは、ここプレマナンダ・アシュラムに来ており、だからあなたたちは、あなたたち自身を変えなければならない。あなたたちは、ロンドンでも、スペインでも、ドイツでも、どこででも暮らすことができる。もしあなたたちがそこで暮らすなら、あなたたちは多くの金を稼ぐことができる。しかし、もしあなたたちがプレマナンダ・アシュラムに来るなら、そのときのあなたたちは金を稼ぎに来ているのではないのだ。あなたたちは、霊的に発達するためにアシュラムに来ているのだ。』(2010年)

一方、自らの利得のために近づいてきた者たち――G会、AOの息の掛かった者達、SM等――は、アシュラムに人を大勢呼び込み、アシュラムでセミナー等を開き、名目はチャリティーのための金集めと称して、アシュラムで金儲けができると居住者および帰依者たちに持ちかけていた。インド及びスリランカのメディアがスワミに対して肯定的な反応を示し始めていたため、スワミジの名を自分たちの利得に利用したいという連中が、なおいっそうアシュラムに集まってきた。アシュラム居住者および帰依者たちは、その話に夢中になってしまい、2009年5月には、スワミジは、霊性を教えるために金を取るつもりはないというメッセージをインターネット上のビデオ映像で流さなければならないほどになった。ビデオ映像の場合、スワミジの言葉、スワミジの言わんとしていることが、改変されずに済む。(それは、スワミジが存命の間は改変されずに済む最善のやり方であった。しかし、スワミジが肉体を離れられた今、アシュラム・マネージメントが出すものに関してはそうとは言い切れなくなってきている。)
プレマナンダ活動と別個に自国で金儲けをするのは一向に構わないが、(霊性を教えるための、スワミ・プレマナンダの名のついた)アシュラムでやってはいけないと、スワミジは言い続けたが、彼らは、アシュラムで金儲けをするという自分たちの計画を推し進め、自分たちの計画を認めない師に対して更なる不満を募らせ、終局へ向けて反発反対していった。


『あなたたちは、「霊性、霊性、霊性!」と言う。もし人が瞑想コースに500ルピー払うなら、人は霊的に発達することができるのか? 金銭は人が作り出したものだ。金銭を中心にその周りに霊性を置いて、人は霊的に発達できると、あなたは思うのか? 人は、このようなやり方で発達できるのか、あなたの見解はどうだ!』(2009年マハシヴァラトリ)


c.霊性を教えるスワミジよりG会の金を選んだアシュラム

『偉大なる聖者やアヴァターが地上にいるとき、あなたたちは、自分たちが彼から得ることができる恩恵について考えなければならない。それは、カネか? それが、あなたが欲しいものなのか? そのカネの恩恵とは、どのようなものなのか? 私は、これはただの印刷された紙切れだと、既にあなたたちに十万回も言ってきた! しかしながら、社会は人間を金銭の奴隷にしてしまっている・・・』(2010年12月)

『・・・最後の晩餐のとき、イエスは、十二人の弟子たちすべてと共にいた。イエスは、彼らにこう言った。「あなたたちのうち一人が、私を裏切るだろう」と。イエスを裏切るつもりだった者は、とても声高にこう言った。「誰がそのようなことをするのでしょうか、誰がそれをするのですか?」と。誰かがとても声高であるとき、あなたたちは、そのような人々に関して極めて注意深くなくてはならない。彼らは、ひょっとしてあなたを貶めるかもしれない。その後、イエスは留置場に連れて行かれ、逮捕され、刑務所に入れられた。』(2010年マハシヴァラトリ)

プレマナンダ・アシュラムは、2006年12月競売にかけられるところであったが、判決の結果、640万ルピーを税金として納めれば何も問題ないということになり、海外の帰依者たちからの支援拠出により2007年春その税金を支払うことができ、アシュラムは売却を免れた経緯がある(日本のコンタクト・パーソンとその家族も家計費を割いて纏まった金額を拠出している)。また、スワミジの配慮により、アシュラムの居住者たち、および孤児院の子供たちは、生活していくのに困らないような手配が既になされていた。アシュラムの果樹およびその他の農作物等は自給自足に十分であり、なおかつ余剰の野菜や果物等を売った現金収入もあり、スワミジのおかげで住む家にも困らなかった。
しかし、彼らはさらにもっと多くの金や贅沢を求め、霊性の師よりもG会の巨額の金を選び、2010年のマハシヴァラトリの騒ぎを計画し、実行するに至った。
(実際、2010年マハシヴァラトリ時にスワミジが明かされたのは、アシュラムがさるシヴァ寺院に金を寄付しその礼に非常に大きなリンガム(持ち上げるためにニ、三人を要する程巨きなナルマダ河の河原石)を寄贈された、ということであった。こうしてスワミジは、アシュラムは実際金に困ってはいない、ということを明かされた。)
スワミジは、2010年マハシヴァラトリ時の暗殺を回避された直後、翌2011年のマハシヴァラトリにアシュラム・マネージメントを或る外国人女性に正式に託すことを2010年2月に発表され、次号のプレマ・アナンダ・ヴァヒニ誌にそのことが掲載されると発表した。
しかしこの最重要事項を、現行マネージメントは、決して会誌に掲載することはなかったのである
(アシュラム・マネージメントには、いついかなるときもスワミジの助言・指示を何よりも優先するという公式の規則が存在するが、現行アシュラム・マネージメントはスワミジの定めた規約に従わず、マネージメントを名乗る正当な理由を一切欠いている。)
スワミジは、2010年11月チェンナイの公立病院入院中の15日間で少なくとも200本の注射を打たれ、なおかつ糖尿病の薬は一切与えられず、殺されるところであったことを、翌12月に明かされた。
スワミジは、マネージメントを正式に外国人担当者に引き継がせるはずの2011年マハシヴァラトリ直前、暗殺された。

『アシュラムでは、私の教えは働かないだろう。なぜなら、あなたたちは私が教えていることを受け入れず、私を放り出すだろうからだ。』(2008年7月)
『霊性を教える仕事が全くないなら、そのとき、私はプレマナンダ・アシュラムを去りたいのだ。』(2009年)

スワミジが暗殺され、肉体を離れられた後、G会の巨額の寄付を断る者は誰一人居なくなり、そのためアシュラムは、金を出すG会の意向に完全に従っている。(これは、日本のあらゆるところで行っているG会の常套手段である。)

『あなたたちが邪悪なマインドを持つ人々と一緒に時間を過ごすとき、そのような邪悪なマインドを持つ人々は、神性をまったく理解せず行動しているため、あなたたちもまた、悪い物事に加担するようになるだろう。』(2010年)

それは、現在進行中である。

もし私がシヴァラトリにリンガムを取り出すことを止めるなら、それは、私が奇跡を行なうことを止めてしまったことを意味するだろう。(2009年)
『九番目の世代がやって来るとき、私は奇跡を行なうことを止め、手紙を書くことを止めるだろう。十番目の世代がやって来るとき、私は話すことを減らすだろう。すべては、その世代一人一人の手の内にある。したがって十一番目の世代は、そのような体験を何も持たないだろう。私はサマーディにあるだろうから。彼らは、私を見る機会さえ得ないだろう。』(2009年)

サマーディの二ヶ月前、師は以下の言葉を残されている。

『来年2011年、私は沈黙(サマーディ)に入るだろう。・・・講話はないし、サットサングはないし、バジャンはない。ただスワミは沈黙している。私は何もしないだろう私は、リンガムを取り出したくないし、ヴィブーティを顕したくないし、私は部屋(サマーディ廟)を出てきさえしないだろう。』(2010年12月)


2013年4月現在、アシュラムは実質G会支配下にある

『(スリ・プレマナンダ・アシュラム訪問において、)あなたたちがビザを持つことを許されるのは、食べる為やコース開催参加の為ではないのだ。』(2010年12月)

廟のある現地を取巻く状況は、事態を見抜くことのできない盲目な西洋人帰依者達と現地在住者達と日本人帰依者を装ったG会工作員()とが連絡を取り合い、表向き‘瞑想・アーユルヴェーダ・ヒーリング各種コース等々’と見せ掛け工作員らのインド潜入に際しビザ取得の便宜を図る等、G会・中国のインドへの窓口としてアシュラム組織を利用すべく――スワミジがアシュラムを託した方の許可無く〈無許可の〉名目支部を海外とりわけ日本に創ろうと、G会支配下にあって師と完全に背離してしまった自称アシュラム・マネージメントが係わる SNS 上でサクラを使った工作活動を開始しているのが現況である。

※【 スワミ・プレマナンダの名を冠したセンター/グループの任命はスワミジおよび正式な後継者によってのみ為され、それ以外の如何なる集まりも、スワミ・プレマナンダの正式なセンター/グループとは見做されない。】

『人間同胞を気まぐれに虐殺し、不具にし、精神的苦痛を与える者たち、悪魔のように残忍な生き方をしている者たちが存在する。ダルマを破壊し惑星を汚染しているのは、彼らだ。』(1997年)(プレマサーダナ2007年1月)

『それは、黒いカラスなのか白いカラスなのか、おそらくそれは赤いカラスだ。』(2009年)

日本人中国工作員女は身元を隠して日本人会員になり、2009年3月迄スワミ・プレマナンダ日本公式サイト名であったプレマジャパンという名称を一部使ったG会アーユルヴェーダ・スクールで2012年1月からインストラクターとなっている参照4(スワミジはその女の正体をご存知だったため、‘’を意味するサンスクリット語の名をつけた。)
プレマナンダ・トラスト名義の土地にはハーブが栽培されており、冒頭G会巨額寄付によって建てられたアシュラム敷地内にある病院を用い、G会・中国はアーユルヴェーダ(ヒーリング)をカモフラージュとしたインド潜入工作の一環として上記日本組織を準備していたのである。そしてスリ・プレマナンダ・アシュラムを基点として、ヨガやインド舞踊等々を加えた同様の工作拠点をインド国内に多数設置する計画であった。
その前提として中国指揮下にあるG会は、’スワミ・プレマナンダ’の名前を云い様に使えるように、まずはスワミジを暗殺しておく必要があったのである。

(2010年マハシヴァラトリ時には日本人コンタクトパーソンを監視するように、KLIAからアシュラムまで、中国の海外実行部隊の一つであるG会指令の下に白人工作員男女が尾行して来ていた。)

中国政府指令の下に動くソフト部隊には、新華社やCCTVの他に、米国他各国に設置された多数の‘孔子学院’があり、もう一方のハード部隊には、世界各地で現地政府に対して武装闘争まで行っているマオイスト(毛沢東主義者)の集団がある。G会は、日本はもとより海外においても、中国政府指揮下にあってハード・ソフト双方を担当してきた。中国・G会は、学校を併設しているスリ・プレマナンダ・アシュラムを、所謂印度風‘孔子学院’にする計画だったのである。