スワミジは、2011年2月11日に緊急入院した。スワミジの肝臓は、ほとんど機能しておらず、肝移植を要する状態であった。そして、21日に肉体を離れられた。
前年2010年の11月にもスワミジは緊急入院された。その時の新聞記事によると、スワミジは、裁判所から三ヶ月の治療許可を得て、カッダロールのクリシュナ病院に入院し治療を受けて後、ポンディシェリーにて白内障の手術を再度受け、数日間カッダロール刑務所に戻っていた。
しかし、スワミジは、11月8日に
呼吸困難と足の腫れのため、カッダロール刑務所からカッダロール市内の公立病院に入院したが、容態が悪化し、チェンナイの中央刑務所にて必要な手続きがなされた後すぐに、チェンナイ市内のロヤペッタ公立病院に入院した。慢性糖尿病、高血圧、肝臓、肺疾患、心臓病などからくる症状があり、14日日曜から同病院のICUにて治療を受けた。16日の時点で、医師によると、容態は安定してきていた。
この症状は、
薬物性腎障害によるものと思われる。
そして、2011年2月11日、スワミジの
黄疸が悪化。カッダロール中央刑務所からカッダロール公立病院に入院。2月13日夜遅く、
アレルギーと黄疸の症状により、チェンナイ市内にあるスタンレー・メディカル・カレッジ病院に入院。医師チームによる治療をうけていた。
この症状は、肝移植しか治療法がないといった状況になることもある、
薬物性肝障害によるものと思われる。
スワミジが肝移植しか治療法がないということは、インドの新聞でも報道されていたし、日本の全メンバーにもコンタクトパーソンからメールで知らせていた(この時、既にこちらからのメール受け取り拒否のメンバーがいたが、それが、2010年マハシヴァラトリに行った者たちであり、素性を隠して潜り込んだG会員である)。しかし、
日本の政治に関わる団体G会は、
2010年11月にスワミジが緊急入院したときと同じ薬剤(毒)を使っていたため、スワミジは
腎不全で死んだと思っており、彼らはそれを早々に2011年3月に、彼らの関与するサイト上2箇所(フランス語と日本語)で発表した。このことからも、スワミジが薬剤によって毒殺されたことが浮き彫りにされている。
スリ・プレマナンダ・アシュラムには、2008年マハシヴァラトリからインド人G会女が入り込んでいた。インド・チェンナイには、G会女子大がある。専門コースには「病院管理」があり、工作員を兼ねて、関係者は公立病院やアーユルヴェーダ施設を始め、さまざまな病院に入り込んでいる。
(‥G会は 日本ではエステ部隊を養成している)
このスワミジの毒殺に先立つ一年前のマハシヴァラトリのことである。われわれが到着した翌々日の2010年2月12日午後に、スワミジはアシュラムに到着されると、次のように話された。
―― 昨日(2月11日)、私が来たら、私は間違いなく死んでいただろう。本当に危なかったのだ。それは、星学上でもそうであった。――
スワミジを殺そうとしている帰依者になりすました白人グループがいるという情報があり、スワミジは警察官たちに護衛されてアシュラムにやって来た。本当は、スワミジはその前日2月11日にアシュラムに来る予定であった。
日本の政治に関わる団体G会が手を回し、アシュラム・マネージメントを含む帰依者たちおよびスワミたち、マタジたち、コーディネーターたちの嫉妬心や否定的感情を煽り騒動を起させている最中に、スワミジを殺そうとしていた。その騒動は、G会工作員の首謀によって
アシュラム・マネージメント*および煽動されたコーディネーターたちが半年以上前から入念に計画を練っていたものであった。そしてちょうど一年後の
2011年2月11日にスワミジは毒を盛られて緊急入院し、21日に肉体を離れられた。
(そして日本に、3.11のその日がやって来た。)スワミジは、これまで度々御自身の毒殺を暗示されるサットサングを与えられていた。
―― 私は、誰がどこから、何のためにここに来て、何をしているのか、すべて知っている。ファティマナガールから何人来ているのか、知っている。――
スワミジは、上記の言葉を、2010年のマハシヴァラトリのサットサングの中で何度も繰り返された。地元ファティマナガールにG会の金が流れ込み、アシュラムでの騒ぎに加担するためファティマナガールからインド人たちが来ていた。スワミジは、G会が外部のインド人たちの間に金をばら撒き、アシュラムでの騒動に加担させるべく送り込もうとしているのをご存知だったため、2010年のマハシヴァラトリを外国人のための祭であると言って、大勢のインド人たちが各地から来ることのないよう手配なさった。
また、
―― 宗教は政治によって作られるべきではない。――
と、スワミジは述べられた。これは、G会が政治的意図で作られたことをはっきりと示している。
G会およびG会をインドにおける窓口にしている中国政府関係者が、ゴシップによってアシュラム居住者たちおよびコーディネーターを含む帰依者たちの否定的感情を煽り、混乱を助長させ、スワミジと日本のコンタクトパーソンに対して大騒ぎして反対させるよう仕向け、アシュラムを破壊していった。
―― 私はすべてを一箇所に持ってきている。(2008年マハシヴァラトリ) ――
日本の政治に関わる団体G会がインドに足がかりを築く目的で工作員をスワミ・プレマナンダのアシュラムおよびフランスのセンターに入り込ませる“きっかけ”を作ったのは、自らの金銭利得の為にスワミジに関心を持ち近づいてきたSMとAOであった。
日本人G会女たちはフランスで一緒に破壊工作を行い、フランスのセンターにはフランス人G会員が大勢入り込んでいる。2010年マハシヴァラトリには、そのフランス人G会員たちがセンターから大挙してアシュラムにやって来た。上記日本人G会女たちの一方はSM側のツアーで日本からやって来、もう一方は素性を隠したメンバー資格で日本からやって来、アシュラムで騒ぎを煽った。SM側のツアーでやって来たイタリア語とフランス語が堪能なG会女は、AOの旅行の常連であり、AOが連絡役で使っていた。
2010年マハシヴァラトリに素性を隠したメンバー資格で日本からアシュラムにやって来たそのG会男女(夫婦)は、日本から引き続いて組織的にコンタクトパーソンの会話を盗聴録音したものを、アシュラム中に吹聴した。G会女は、コンタクトパーソンの一人と同室だったため、夜中に起きていてコンタクトパーソンの睡眠を妨害し、ほんの束の間眠った隙にコンタクトパーソンの腕に睡眠薬を打つことさえした(2010年2月13日早朝)。G会女は、女スパイ気取りで、嬉々としてこれらを行なう。一方のG会男は、休んでいた男性コンタクトパーソンの眼に薬剤入りの注射を打つことさえしている。
加えて、日本から素性を隠したメンバー資格でやって来たそのG会男女(夫婦)は、日本のコンタクトパーソンの便名をG会組織に知らせており、G会組織は日本の公権力と中国政府機関を使って手配し、旅行行程中ずっとコンタクトパーソンを付け回し、盗聴し続けた。G会は、長年政権にあった故の公権力を乱用し、また、法務局、外務省および経産省にいるG会を使って、同左局省をG会の私用目的で動かした。
G会トップから指令を受けた経産省出身G会議員:――経産省配下には東電があり、その管理下の原発が損壊し、結果を日本全体が負うことになった。G会議員とSMは通産省時代の同僚。G会はトップの権威付けと海外への拡張を図る中で、大聖をダシにした日印通商拡大を画策し、中国政府と連動していた――
途中の空港レストランでは、金をつかませて、わざとやたらと辛い料理を出させたりもした。華僑系であるシンガポール・チャンギ空港のトランジットホテルのフロントでは、
G会と協力関係にある中国政府関係者がその時だけ外部からやって来て、コンタクトパーソンの出した100ドル米札が偽札で受け取れないなどの振りをしたり(空港内銀行で問題なく現地通貨に換金できた)、コンタクトパーソンの一人がトイレから戻って来るとき、通路に多勢の警備員を配置させてコンタクトパーソンに圧力を与えようと試みたり、搭乗口では、外部からトランジットホテルのフロントにやって来た女が再び現われ、コンタクトパーソンの一人のチケットを受け取って機械にかけ、故意に搭乗拒否のサインを表示させるなどした。
日本帰国の際には、成田空港で、入国手続きのゲートを制限し、コンタクトパーソン一行だけをターゲットにした制限に思いもかけず一緒に巻き込まれた数名の日本人客は、不満・不審の声を発していた。(以上、2010年2月18日の事例)
―――
これら一連の工作の翌年、日本のG会が大聖を暗殺、その悪行のバランスを取ろうとした地球により、2011年3月11日の東日本大震災が引き起こされたのである。